主日の福音04/05/16
復活節第6主日(ヨハネ14:23-29)
あなたにも、神がともに住む生活は可能です
皆さんお一人おひとりの生活にあって、年に一度の出来事は大切なものなのではないでしょうか。何かの記念日であるとか、誕生日であるとか、ご先祖の命日、年の初めなど、やはりどれもなおざりにできないものだと思います。同じことは、年に一回あるかないかの「チャンス」についてもそうだと思うのです。
先週、私にもそういうチャンスが回ってきました。たぶん私にとっては一年に一度あるかないかの巡り合わせだったのですが、大切にしなさいと皆さんには言っておきながら、私はそのチャンスを活かせなかったのです。
この前の日曜日のことでした。高島教会からの帰り、私の見通しが甘かったために、昼からは雨に降られてしまいました。ショボンとして港に着いてみると、ステキな女性が傘を差し出して「使ってください」と言うではありませんか。ありがたく傘を頂戴して、車にまで乗せてもらって司祭館に帰りました。これだけでも「年に一回あるかないか」だと思いますが、司祭館に戻ってみると別のステキな女性が、「お笑い演芸会に行ってみませんか」と誘ってくれたのです。
一日に2回もステキな女性に声をかけられるなんて、めったにあることではありません。二つ返事で「じゃあ行きましょう」と言うべきだったのですが、「38歳のややおじさん」は、高島から帰ったときにはもう何もしたくない気分だったのです。今考えると惜しいことをしました。どこのモデルさんだったのか分かりませんが、これに懲りずにまた何かあったら声をかけてください。
実は教会も、来週からは年に一度あるかないかの時期がやってきます。四週にわたって、何のお祝い日何の祝日と祝い日がしばらく続きます。名前を挙げると「主の昇天・聖霊降臨・三位一体・キリストの聖体」というひと続きの祝い日です。これだけ続くのは、一年の中でこの時期だけです。
これらひと続きの祝い日は、年に一度しか回ってこないのですが、普段の心がけ一つで、感じ方も変わってくるはずです。日頃からよく気を付けてミサにあずかっている人にとっては、「今年もこの時期がやってきた」と思うでしょうし、あまり気にしない人にとっては、「よくまあ名前の付いた日曜日が続くものだなあ・・・」と漫然と思うかも知れません。
皆さんが普段の生活で年に一回のことが大切なように、教会も年に一度の出来事は、どんな場合でも大切に考えています。クリスマス、復活祭などは言うまでもありません。来週からの一連のお祝い日にしても、できれば大切にしたいものです。年に一度のことではあっても、重要な祝いが続くのですから、礼拝に差し障りが出ないように、特に気を配っていただきたいと思います。
この時期に、特に気を付けてミサのために時間を取ってくださる方には、今日のイエス様の一つひとつの言葉が、大きな意味を持ってくると思います。「わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」。集中的に祝日が置かれた季節に努力して時間を工面したあなたに、父なる神とイエス様は一緒に住んでくださる、留まってくださると仰るのです。
偉い方はたくさんいます、国を治める方とか、皇室の方とかです。そういう方々は私のところに来て、一緒に住むというようなことは決してないのではないでしょうか。ところが私たちの信じている神様は、信じていることを態度で表す人に、例えば忙しい中にあって一連の祝日のために何とか時間を工面する人の心に、一緒に住むというのです。御昇天・聖霊降臨・三位一体・キリストの聖体の神秘を集中して黙想する皆さんの生活に、神は一緒に住みたいと申し出てくださるのです。
この考えをもう一つ延長してみたいと思います。教会が設ける年に一度の機会を大切にする人の生活に神様が留まってくださるというのですから、さらにもう一歩踏み込んで、私が教会とのつながりで年に一度何かを決めて実行するなら、その努力は神様から高く取り上げてもらえるのではないでしょうか。そしてその人の生活には、確かに神が留まってくださるのではないでしょうか。
ここで考えなければならないのは、信仰の面で年に一回どんな行動を起こすか、ということです。年に一回何をすれば、私にとって大きな決断になるだろうか、ということです。
ここまで言っているのに、「じゃあ年に一回、朝の祈りをしてみるか」とか、そんなレベルのことを考えて欲しくありません。朝起きて、「天におられるわたしたちの父よ」くらいの祈りは、年に一回じゃなくて365日できることです。そうではなくて、もっと値の高いことを心に決めて、年に一回でいいから実行して欲しいのです。
心優しい中田神父は、皆さんのためにいくつかの例を挙げたいと思います。今日ここで示す例は、すべてミサに関係のある例です。ほかの決心は、皆さん各自にお任せします。
例えば、次のようなことを年に一回実行してみてはいかがでしょうか。普段、日曜日だけ教会のミサにあずかっている家族が、家族にとっていちばん大切にしている日に、日曜日でなくても朝のミサに参加するというのは、年に一回でも十分に大きな決心になると思います。
また、とてもかわいがっている子どもや孫たちのために、五月五日の「こどもの日」の朝のミサに年に一度だけでも行って子どもたち孫たちのために祈る。これまたすばらしい決心ではないでしょうか。
ほかにも、年にいっぺんだけミサ謝礼を入れてミサを頼んでみるとか挙げればいろいろありますが、年に一回でも十分に値の高い決心はあるものです。それらを実行するあなたの家族には、きっと神は一緒に住んで、照らしと導きを与えてくださるのではないでしょうか。
ステキな女性に2度も声をかけられるようなことは、もう金輪際ないかも知れませんが、皆さんが教会との関わりで大きな決心をするチャンスは、これからもたくさん見つかると思います。どうぞ、チャンスを活用して、あなたの中に、あなたの家族に、神が留まる生活を目指していくことができるように、続けてミサの中で祈っていくことに致しましょう。
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‥次の説教は‥‥
主の昇天
(ルカ24:46-53)
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