主日の福音04/05/09
復活節第5主日(ヨハネ13:31-33a,34-35)
お手本が付いているのだから、しっかり見習おう

最近は世の中に売っているものすべてに説明書とか、食べ物であれば調理の例とか、注意書きとか、そういったものをきちんと付けて売っています。ちゃんと説明書が付いていて、説明書の通りに使えば、たいていのものは何も問題ないわけですが、時には問題も起こります。二つの可能性があります。一つは、説明書を作る側が予想していなかった問題が起こったとき、もう一つは、使う人が、とんでもないことをしでかしたときです。

メーカーの予想を超える問題が起これば、商品は故障してしまうわけですから、修理することになるでしょう。むしろ問題は、使う人が考えられないことをしでかしたときです。「ラップをしましょう」とか、常識的なことまで書いていたら、説明書は何ページあっても足りなくなってしまいます。

ついでなのですが、私のような機械音痴はめったにいないのかと思いましたら、結構そんな人はあちこちにいるようで、ある先輩はパソコンを買ったのはよいけれども、最初に置いた場所で使い勝手が悪くなって、場所を動かそうとしたときに問題が起こりました。

こういうことでした。このパソコンのコンセントを抜いたら、パソコンに記憶させていた文章が全部消えてしまうのではないか。そう思ったのだそうです。その先輩は非常にきまじめな方でしたので、説明書を隅から隅まで読み直しましたが、「コンセントの抜き方」というページはどこにもありません。これは困った、ということではるばる私の所に電話がかかってきました。

「もしもし私は先輩です。パソコンを移動させたいのだけれども、勝手にコンセントを抜いても大丈夫だろうか?」私はその先輩の悩みがあまりにおかしかったものですから、その場で吹き出しそうになったのですが、気を落ち着けて次のように返事をしました。「先輩、コンセントはそおっと抜いてください」。電話を切ったあと私は笑いました。この先輩は今は司教様になっております。司教様、話のネタに使って申し訳ありません。

さて福音に集中してみましょう。イエス様は次のような掟を弟子たちに残しました。「互いに愛し合いなさい」。そして、ここまで私たちが考えてきた通り、弟子たちに授ける掟に、イエス様は「説明書・模範」を付けてくださったのです。「このようにすれば、互いに愛し合いなさいを実行できます」。それは、「私があなた方を愛したように」ということです。

互いに愛し合いなさいという掟は、そのままでは曖昧で、ピンと来ないかも知れません。そのままでは、「説明書の付いてない商品」「どんな風に活用すればよいのか分からない」ということになっていたかも知れません。そこでイエス様は、「わたしがあなたがたを愛したように」という但し書きを付けたのです。

また、とんでもない使い方をしてしまう人々のためにも、但し書きは必要です。「互いに愛し合いなさいと言ったのだから、結婚していても自由自在に他の人と愛をかわすのだ」とか「結婚していなくてもどんな愛の形も自由だ」と勝手に思って、結婚している人に与えられている人間的な喜びにまで手を伸ばす危険もあるわけです。イエス様は与えようとする掟を正しく理解してもらうために、「わたしがあなたがたを愛したように」と仰るのです。

それでも私たちは納得できないかも知れません。「わたしがあなたがたを愛したようにとは、どのようにですか」と考える人もいるでしょう。本当は、ここから先は私が説明することではないのです。イエス様が示してくださった愛は、私たち一人ひとり感じ方が違うからです。「あなたの罪は赦された」とイエス様が声をかける姿に、「そうだ、私の罪もイエス様は赦してくださる」と、限りない愛を感じる人もいるでしょう。

また、嵐の中で舟を漕ぎ悩んでいる弟子たちの前で、嵐を静めてくださるイエス様に、「私が漁に出るときにも、イエス様は守ってくださる」と信頼と愛情を寄せる人もいるかも知れません。どの姿に、どんな呼びかけに愛情を感じ、そこから自分の生活に戻って誰かに同じ愛を注ぐ。その形は、人それぞれなのではないでしょうか。

ですが、一つだけ紹介して、今日の説教を結びたいと思います。イエス様は人間の犯した罪を担ってくださって、赦してくださいました。「わたしがあなたがたを愛したように」とは、中田神父にとっては、「わたしがあなたがたを赦したように、互いにゆるしあいなさい」ということだと思っています。

どの職業、どういった生活に置かれていても、互いにゆるしあうことは必要ですから、イエス様が私たちに示してくださったお手本に見習って、互いに同じ生き方を実行していきましょう。イエス様は但し書きの付いた掟を与えたのです。但し書きをよく読んで、考えて、受けた愛の掟を実行できるように、ミサの中で照らしを願いましょう。
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‥次の説教は‥‥
復活節第6主日
(ヨハネ14:23-29)
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