主日の福音04/01/1
神の母聖マリア(ルカ2:16-21)
あなたの一年を、マリアの心に納めて

まずは新しい年の幕開けを迎えました。皆さんおめでとうございます。神の母聖マリアの祭日を祝いながら、今年も気持ちを新たに信仰生活を歩んでいくことに致しましょう。

朗読された福音書の中で、マリア様の様子が次のように描かれています。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」。ついこの前の日曜日にも、マリア様の描写で似たような表現が出ました。過ぎた日曜日、聖家族の福音朗読では「母はこれらのことをすべて心に納めていた」とありました。この、「心に納めていた」というところを、特に女性のすぐれた特徴、母親のすぐれた特徴として、いっしょに考え、今年一年を始めるに当たっての糧を得たいと思います。

男性の皆さんは女性の記憶力のすごさにはっとさせられることがないでしょうか。私はときおりそういうことがあります。しばしば、男性が覚えていないような繊細な部分、ちょっとした仕草やなにげない一言まで、実によく覚えているものです。

例を挙げますと、私が日曜日ごとに説教を原稿に書いては話し、また原稿にしては話すのは言ってみれば「流れ作業」ですので、次の日曜日に向けて準備が始まると、たいていの場合先週話したことはもう頭に残っていないのですが、女性はそうとも限りません。ときとして、いついつの説教でこんな話をしたと、写真に写し取ったように覚えておられる方がいらっしゃるわけです。

「神父様はこの前の説教でこんなふうに仰いましたよね」というふうに、それは一方ではとても嬉しい声なのですが、案外話した本人は(男性である私は、と言った方がよいでしょうか)、もう覚えていなかったりするわけです。女性はいろんな物事をその細部にわたって覚える才能に恵まれているのだと思います。

話のついでなのですが、そういう意味では、夫婦喧嘩はほとんどの場合男性に勝ち目はないと思うわけです。なぜかと言いますと、喧嘩の原因になった出来事を、男性はしばしば覚えていない、女性ははっきり覚えていることが多いからです。「です」と言い切るほどの経験はないのですが、でも大抵そうではないかと思っています。ここに集っておられる男性は、多かれ少なかれそのような経験をお持ちではないでしょうか。

女性は、あるいは母親は、出来事を心に納めておく天賦の才があると思います。これは男性と比べたときにはるかに恵まれた部分だと思うのです。一般的にそうだと思うのですが、マリア様は際立ってその才能に恵まれたと思います。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」。すべて、というのですから、どんな些細なことでものがさず、心に記憶しておられたに違いないと思うわけです。

そうであるなら、マリア様により頼む心を呼び起こしてみてはいかがでしょうか。マリア様は、女性の中でも特に、出来事を心に納める才能に特に恵まれました。この点に注目して、私の一日、私の今年一年についても、マリア様に委ねるようにすれば、マリア様は心に納めてくださるのではないでしょうか。

一人ひとりの願い事や、生活の上で起こる出来事がどれほど多くても、マリア様は一つひとつ心に納めて、思い巡らしてくださる。必要に応じて、イエス様に取りなしてくださるのではないでしょうか。

もしも、ご自身の経験から、女性の記憶力は計り知れないということを十分に理解しておられるのでしたら、迷わず、マリア様に今年一年をおゆだねして一年をスタートさせるとよいと思います。マリア様の心のどこかに自分を納めていただいていると信じて一年を歩むなら、もしかしたらこれまで抱えていた不安の大部分を取り除いてもらえるかも知れません。信頼のうちに一年のスタートを切ることができるかも知れません。

「私は、マリア様の心の中で数えられている」。この思いを信頼の源に変えて、今年一年に船出することに致しましょう。神の母が、私たち一人ひとりを心に納めて新たな一年見守ってくださるように、続けてミサの中で祈っていきましょう。
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‥‥次週は‥‥
年間第主日
(朗読箇所)
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