主日の福音03/12/7
待降節第2主日(ルカ3:1-6)
12月第1日曜日は「宣教地司祭育成の日」

カトリック教会は12月の第1日曜日を「宣教地司祭育成の日」として、日本を含め世界各地の教会に力を注ぐことになっています。今日の福音朗読を、あえてこの「宣教地司祭育成」ということに結びつけて考えてみたいと思います。

経済大国の日本が今になっても各国の援助を受けながら宣教活動を続けている、これが日本の教会の現状なのですが、今まで以上に、日本では宣教のために働く人を、それも自前で準備する必要に迫られていると思います。フランシスコザビエル以来、海外から多くの宣教師が日本へ来て、キリスト教の信仰をもたらしてくれました。宣教師の中にはすでに何十年と奉仕した方もおられます。

ですが、次の宣教師を送ってもらえるかというと、そうではありません。宣教師の数が足りないということもあるでしょうし、もっとはっきり言うと、宣教師の皆さんはアフリカでの宣教には喜んで行くことはあっても、経済大国の日本に宣教に行くのはどうかと、考えておられるのではないでしょうか。アジアのほかの国々には宣教に出かけてみたいけれども、今の日本に宣教に行く大義名分はあるのでしょうかと、考えているのではないかと思うのです。

ですから、もはや私たち日本の教会は、自分たちの中から、司祭・修道者を希望する子どもたちを育てていかないといけない、宣教地だから宣教師もちょうだいという時代はとっくに過ぎていて、私たちの祈りと犠牲で、司祭・修道者を育てていくことを考えなければいけないと思うのです。

今日の福音で、洗礼者ヨハネが、自分に託された使命「来るべき救い主の準備をさせる」ために、荒れ野で声を上げました。荒れ野で声を上げましたが、人々は町中から彼の声を聞き、悔い改めようとして集まりました。たとえばそれは、大司教様が大司教館でキリストについて熱く語ったということに置き換えて良いかと思いますが、洗礼者ヨハネの時代は一人の預言者が声を上げればこぞって人々が集まりましたが、今の時代はそうはいかないと思うのです。

各地域に、長崎・佐世保・五島・平戸など、各地域に声を上げる人が必要ですし、学校を建てたり施設を建てて、その中でキリストを宣べ伝えていくことも考えなければなりません。あるいは、街頭で募金を募るときに「教会に足を運んでみませんか」とあちこちで声をかけていくことも必要かも知れません。

そう考えるとこの先20年、25年といった短い間に、大変な事態がやってくることもあり得るのではないでしょうか。もう司祭はいませんので申し訳ないけれども・・・と、そういうことが絶対ないとは言えないのではないでしょうか。

日本という宣教地で働く司祭の当ては、素直に考えると神学院にいる生徒しか考えられませんが、たとえば教区の神学院には、一学年に5人いるかいないか、という状況になってしまいました。教区司祭の場合、だいたい6人に1人か、7人に1人司祭になっている状況です。5人しかいないということは、単純に考えれば、これからは毎年司祭が与えられるとは限らないということになります。

何かが育っていく環境というのは、みんなの中で揉まれてこそ、ではないでしょうか。一人っ子で強く逞しく育てと言うよりは、五人兄弟で揉まれているほうが、何も言わなくても強く逞しく育っていくのではないでしょうか。

私事になりますが、中田神父の学年は入学当初17名でスタートしました。それこそ芋を洗うかのように揉まれて神学校生活をしたわけですが、おかげでいろんなことにへこたれない精神を養うことができたように思います。中学生のあいだはいろいろからかわれたりいじめられることもありました。

たとえば構内のスリッパのままグランドに出た生徒は罰掃除という規則がありましたが、高校生の先輩はよく私たち後輩を構内スリッパのままグランドに連れて行ったりして、何度となく罰掃除をしたものです。

あるいは時間外に外出をして、ラーメン食いに行くような先輩もおりまして、「運動時間にサッカーボールを外に蹴ってしまったから、今から取りに行ってくるけん。お前はこの裏口を開けたら、帰ってくるまでここで待っとれよ」と言われて、夜の9時にバカ正直に勝手口のところに立たされたこともありました。

司祭になったらなったで、「よかか、先輩が『白』って言えば、黒も『白』ぞ」と、そんな無茶なと思いましたが、でもそうして鍛えられてきたのも事実です。もし司祭団が今の3分の1くらいだったら、先輩もそんな無茶は言わないと思いますが、逆に遠慮ばかりでよい結果にはならないと思うわけです。そんなこんなで、いろいろ先輩後輩のあいだで鍛えられていったものですが、まずもって少ない人数では、そんなことすら起こりません。

私も及ばずながら、この前の手話ミサのときに後輩を鍛えてきました。その後輩神父さんは生まれて初めて手話ミサに同席し、そのあとに茶話会に出席してくれたのですが、せっかく茶話会に来たのだから、一つくらい手話表現を覚えてもらいましょうよと言って、本人に意味を教えずに、とある手話表現を5回ほど練習させたわけです。最後に自分一人で皆さんの前で披露していただきました。私がその新米司祭に教えた手話は、「私は手話が上手です」という手話でした。

せっかく「宣教地司祭育成の日」が定められているわけですから、みなで日本の教会の司祭を育てるために手を貸していただきたいと思います。もはや「神父様になりたい人、手をあげてください」では追いつきません。もうなりふり構わず、片っ端から声をかけないと追いつかない状況なのです。たとえばジャンケンで行ってもらうとか、広く可能性を探っていかなければと私は考えております。

皆さんにも、私はなりふり構わずお願いをしようと思います。子どもたちにジャンケンさせてください。お孫さんの一人が神学校か志願院に行くように、神父様とシスターになる人が必要だと、一生涯言い続けてください。遺言にも一言書き添えてください。それくらいの覚悟でなければ、25年で司祭不足のためにあちこちの教会をたたまなければならなくなるかも知れません。

少し言い過ぎたような気がしますが、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と、これからも叫び続けるキリストの弟子を日本の教会の中で種をまき、収穫できるように力強く祈っていくことに致しましょう。
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待降節第3主日
(ルカ3:10-18)