主日の福音03/11/30(No.095)
待降節第1主日(ルカ21:25-28,34-36)
最悪の日であっても、今日は喜びの日
(手話表現に合わせて作成したため、短めです)

今日は、こちら三浦町教会で手話のミサをささげることができました。感謝します。さて皆さんの中には、今日誕生日を迎えられた方がいらっしゃるかもしれません。おめでとうございます。また、今日が何かの記念日に当たっているという人もいるかもしれません。

今日三浦町教会のミサに参加して、初めて手話ミサをご覧になっている方もいらっしゃるかもしれません。また、手話によるミサをささげている中田神父を初めて見たという人もいらっしゃるかもしれません。皆さんそれぞれ素晴らしいことだなと思います。

いろんなすばらしい出会いを今日持っている人がいると思いますが、私はもっと素晴らしい人たちがいると考えています。十一月の最後の日曜日、今日が待降節の始まりだと知って一日を過ごした方々のことです。私は、最後に紹介した人たちが実はいちばん素晴らしい一日を過ごした人たちだと考えています。

まずは、待降節の意味について少し考えてみましょう。多くの方が待降節の意味は知っていると思いますが、イエス様の誕生を待つ期間です。イエス様が、救い主としておいでくださったことを楽しみにして待つ期間のことです。

ずっとずっと昔から人々は救い主を楽しみに待ち続けていました。2,000年前、もっと昔からユダヤの人々は救い主を待ち望んでいたのです。2,000年前、ローマの支配を受けていたユダヤの民は、自分たちを自由にしてくれる救い主を待ち望んでいました。その救い主がイエス様でした。イエス様は、この世の権力者に支配されている人々を自由にする救い主だったのです。2,000年前のユダヤの人々にとって、イエス様は希望の光でした。

イエス様は馬小屋でお生まれになります。この世の王が暮らしている立派な家で生まれたのではなくて、家畜の小屋でイエス様はお生まれになります。初めにイエス様を拝みに来たのは羊飼いたちでしたが、イエス様は当時の家を持つことができる人々のためだけではなく、家を持つことができない、野原で寝泊まりをする人たちにとっても救いの知らせになったのです。

ヨセフさまは、まもなくお生まれになるイエス様のことを「私たちとともにいる神」と天使から説明してもらいました。多くの人が希望を失い、悲しんでいた時代に、イエス様はいつも共にいてくださる神様としておいでくださったのです。喜びを失った人たちに心の喜びが与えられた日、その日を待ち望む最初の日が今日なのです。

今日は、これらたくさんの喜びと希望を運んでくださるイエス様を待つ最初の日です。ですから今日が待降節の最初の日と知っていた人は幸せだと思うのです。希望の持てない時代にすべてのユダヤの民にとって希望であったイエスさまを待つ日がきました。ユダヤ人だけでなく、今の時代の中で、私たちにとってもどんな喜びの日よりも、どんな記念日よりも素晴らしい日ではないでしょうか。

もしかしたら今日悲しみの中でミサに参加している人がいるかもしれません。大きな心配を抱えて今日ここに集まっている人がいるかもしれません。どんな喜びや希望も受け入れたくないと思っている人もいるかもしれない。たとえそんな人でもイエス様は優しく私たちのそばに来て下さってあなたの喜び・希望としてもうすぐおいでになるのです。

誕生日は、その日が過ぎれば終わってしまいます。何かの記念日もその日一日限りの喜びかもしれない。ですが、待降節はこれから長く続きます。イエス様を楽しみに待つ喜びはこれからクリスマスまでの長い期間続くのです。もっというと、あなたの一年の中で、あなたの人生の中でこの喜びは生き続けるのです。

すべての人にとって、今日は大きな希望が与えられた日です。今日誕生日でない人はたくさんいます。今日良いことが何もなかったと思っている人もいるでしょう。それでも、イエス様は喜びとなって、私たちの心の中に来てくださいます。今日は私たちが心の準備をする最初の日なのです。

イエス様を待ち望む日が始まったことをみんなで喜び合いましょう。これからクリスマスまでの期間、この気持ちをずっと大切にしていくことができるように、ミサの中で続けて祈っていくことにいたしましょう。
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‥‥次週は‥‥‥
待降節第2主日
(ルカ3:1-6)
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