主日の福音03/10/26
年間第30主日(マルコ10:46-52)
上着を脱ぎ捨ててイエス様に近づく

(今週は、月に一度の手話ミサのことを考えながら、原稿を作りました)
人間は生きているあいだに、いくつか手に入れて、いくつかを失います。すべてを持っている人はいません。すべてを持っているのは神様だけだと思います。たとえば私は、説教を考えたり話したりする力をもらったと思いますが、歌を作ったり、ピアノやオルガンを弾いたりする力は持っていません。

ある人は、運動の才能をもらっているし、ある人は勉強するために記憶力をもらう人もいます。けれども、すべてを持っているのではなくて、いくつかを持っていますが、いくつかを持っていないのです。もし、人間がすべてを持っているなら、みんな同じ人間になってしまって、あまり面白くないと思います。

今日の福音に出てくる人に当てはめてみましょう。エリコの町に、バルティマイという人がいました。彼は目が見えません。他の人が持っている「ものを見る力」を持っていません。とても大きな障害だと思いますが、人間は誰でも、何かを持っていて、何かを持っていないのです。これは大切な基本なので、忘れずに話を進めたいと思います。

バルティマイは、ほかの多くの人が持っていた「ものを見る力」を持っていませんでしたが、他の人よりもすばらしいものを持っていました。一つは、大きな声です。イエス様にすぐ分かるように、彼は叫びました。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」。

私たちは、人がたくさんいる場所で、大声を出すのは恥ずかしいと思っています。ですから、大声で叫ぶバルティマイを群衆は叱りました。けれども、バルティマイは「ものを見る目」を持っていませんので、大きな声を出して、イエス様に見つけてもらう必要がありました。バルティマイは、自分の持っているものを上手に使って、イエス様に見つけてもらいました。

もう一つは、人間の目で見えないものを持っていました。それは、「イエス様への信仰」です。たくさんの群衆も、イエス様への信仰を持っていたと思いますが、バルティマイはほかの群衆と違って、はっきり分かる強い信仰を持っていました。

バルティマイは、自分の持っている信仰を大きな声でイエス様に知らせましたが、じつは、イエス様はバルティマイの強い信仰をよく知っていました。だから、最後にこのように言ったのです。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。

お説教の初めに、私はこう言いました。人間は生きているあいだに、いくつか手に入れて、いくつかを失うと。バルティマイは、「ものを見る力」を失っていました。もしかしたら、イエス様が生きていた時代の人なので、栄養が悪くて目が見えなくなったかも知れません。病気を治すためのお金がなくて、目が見えなくなったかも知れません。

ものを見る力を失いましたが、神様への信仰を失いませんでした。もっと言うと、バルティマイは見えなくなったあとで、神様への信仰が大きくなったと思います。「神様は、目が見えなくなった私を決して忘れない、私を捨てたりしない」と、バルティマイは強く強く信じて生活していました。だから、イエス様はバルティマイの信仰を喜んで、目が見えるというすばらしい業をしてくださったのです。人間の生活にとても大切な「ものを見る力」を失っても信仰を失わなかったバルティマイを喜んで、大きな恵みを与えてくださいました。

バルティマイが、「ものを見る力」を失っても、強い信仰を持っていたことは、ほかの例によっても分かります。バルティマイはイエス様の所に近づくときに、「上着を脱ぎ捨てて」躍り上がって近づきました。じつは、上着は、バルティマイが持っていたものの中で、とても大切なものでした。

バルティマイは物乞いをして生活をしていた人です。立派な家は持っていなかったと思います。寒い日も、外で寝ていたと思います。上着は、寒さから自分を守るたった一つの大切なものでした。その上着を捨てて、イエス様の所に近づいたのです。つまり、バルティマイは、自分の持っているものでいちばん大切なものは信仰で、上着や、「ものを見る力」よりも、神様への信仰が大切だと考えていたのです。

バルティマイは、私たちに大切なことを教えていると思います。イエス様への信仰がいちばん大切だということを、わかりやすく教えてくれました。イエス様への強い信仰を持っていたバルティマイは、いっしょに集まっていた群衆よりも、イエス様に近づくことができました。ほかの群衆は、「見る力」を持っていました。バルティマイよりも簡単にイエス様に近づくことができました。けれども、イエス様のいちばん近くに行くことができたのは、誰よりも強い信仰を持っていた「バルティマイ」だったのです。

今週は、一つイエス様にお願いしましょう。神様を信じる信仰が、いちばん大切だということをはっきり教えてくださいと、イエス様に願いましょう。今まで大切だと思っていたものを脱ぎ捨てて、イエス様に近づく強い信仰を与えてくださるように、ミサの中で祈りましょう。
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‥‥次週は‥‥
死者の日
(ヨハネ6:37-40)
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