主日の福音03/10/19
年間第29主日(マルコ10:35-45)
神の民一人ひとりが仕える者となるように
先に、長崎教区の新しい教区長として、ヨゼフ高見三明司教様が大司教に任命されたことをご報告いたします。朝日新聞などにはすでに報じられていたそうですが、宣教する長崎大司教区の新たな舵取りとして、存分に腕を振るっていただきたいものだと思います。
今日のミサの中で、「私たちの教父ヨハネ・パウロ二世」と唱えたあとに、これまではちょっと遠慮がちに「私たちの補佐司教・・・」と唱えていたのですが、今日からは正式な教区長として、「私たちの司教・ヨゼフ高見三明」と唱えていきます。
では説教の内容に入っていきたいと思います。土曜日に、佐世保で唯一のカトリック学校である聖和女子学院に出かけました。この学校が佐世保に根を下ろして五十周年の大きな節目を迎えて、記念行事に出席するためです。
個人的なことを言わせてもらうと、大切な行事とは言え、土曜日に佐世保まで行ったり来たりするのはちょっと気が重かったのですが、私の心を動かしたのは、その聖和女子学院の膝元にある俵町教会の神父様の言葉を思い出したからです。
その神父様は、聖和女子学院を始める善きサマリア人会のオーストラリア人シスターが、どんな思いで佐世保の地に出向いてきたかを熱心に話して聞かせてくれました。
聖和を佐世保に呼ぶにあたっては、当時の山口大司教様がローマでの学友であったオーストラリアの司教様を通してシスターたちを説得し、佐世保の地にカトリック教育を施す拠点がどうしても欲しいから、無理を承知でおいでくださいとお願いしたのだそうです。シスターたちも、サンフランシスコ講和条約後間もない頃に、それこそ「からの手」で、身一つでやってきて、種をまき、水をやり、大切に女子学生を育ててくださったのでした。
今日の式典の中でいちばん印象に残ったことは、創立当初を知るオーストラリア人のシスターが紹介され、その中の一人のシスターが、お祝いのメッセージを読み上げた場面でした。
私が感じたことは、創立当初のシスターたちなのだから、お祝いのメッセージの朗読の前に、まずはこのシスター方への感謝の式典を、もっと見える形でおこなったほうが良かったのではないかなあ、と思ったのです。ところが実際には、紹介されたシスターは淡々と祝辞を述べて、さっとご自分の席に戻られたのです。
いろいろかんがえているうちに、オーストラリアから招待されたこのシスターたちは、かえってその偉大さが際立ったなあと思うようになりました。同じ立場に立てば、誰だって少しくらいは「わたしたちがこの学校をここまで育てたのよ」という気持ちを持つのではないかなあと思うのです。それなのに、彼女たちはそうした気持ちをまったく持ってないのか、あるいはそういう気持ちを努力して乗り越えておられるのか、どちらにしても敬服したのでした。
私はそのとき「老兵は死なず、ただ去るのみ」という言葉を思い出しました。そして続けて、次の聖書の言葉「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」にも思い至ったのです。こういう人たちがいたからこそ、聖和はここまで来たのでしょうし、こういう人たちこそが、本当に偉い人たちなのだと思いました。
今日、朗読された福音書の中で、弟子たちのあいだの権力争いが取り上げられています。権力争いというのはあまり当を得ていないのかも知れませんが、栄光をお受けになるとき、右と左に座らせてくださいと願っていますので、ちょっとした争いなのだと思います。それに答えてイエス様は、「あなたがたの中で偉くなりたい人は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」と答えました。
「皆に仕える者になりなさい」「すべての人の僕になりなさい」。ここでイエス様が仰った「仕える」ということばは、ただ単に「サービス」とか、「ついでに」ということではありません。自分を僕と思うくらいに、全身全霊で奉仕することです。何も当てにしないで、純粋に自分を差し出すことを指していると思います。私は今日の聖和五十周年に招待されていた創立当初のシスターたちと重なりました。
こうして身近なところで生涯を捧げ尽くして仕える者となった方々の姿を考えるとき、私たちが目標にしているものと、イエス様が勧める目標とが同じになっているだろうか、方向がぜんぜん逆ではないだろうか、振り返る必要があります。
誰か、このイエス様が示した目標を正面から受け止め、生きてくだされば、その人を通して多くの人が生き方を考えさせられると思います。イエス様の生き方を受け止める条件の揃った人とは誰のことでしょうか。それは、こうして集まって聖書に耳を傾けている私たちです。私たちが、大島の皆さんに対して、イエス様の示された偉くなる生き方、いちばん上になる生き方を示すなら、大きな証となると思います。
教区長が正式に任命され、教区も新たな一歩を歩み始めることになりました。大司教様を先頭に、私たちも自分の生活の場所でキリストが示された生き方を生きてみましょう。私がこれまでどうしても仕えることのできなかった人に、キリストの勧めた道を証するために、今日仕えてみましょう。
一つ努力してみて、一日まっとうしてみて、イエス様を世に示す灯火となることができるように、ミサの中で祈ってまいりましょう。
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‥‥次週は‥‥‥
年間第30主日
(マルコ10:46-52)
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