主日の福音03/10/12
年間第28主日(マルコ10:17-27)
イエス様のバトンを落とさないように

日曜日は町民体育祭です。私も選手で走れるくらいの準備ができていたら良かったのですが、十分な準備ができず、申し訳なく思っています。それ以上に、地域の中学生・高校生に立派な選手が見つかったに違いないと思っています。

運動会の華(はな)は、やはり何と言ってもリレーです。応援にもいちばん力が入ります。ときどき、バトンを落としたり、選手同士が接触して転んだりしますが、それも含めてリレーにはいろんな楽しみがあるわけです。

リレーで肝心なのはバトンを確実につなぐこと、これは言うまでもありません。分かっていることなのですが、必ずと言っていいほどバトンが渡らないチームが出てきます。ルール違反で失格になることは滅多にないかも知れませんが、バトンパスの練習を何度も積み重ねたのに、本番の時に落としてしまうということはよくある話です。

どうして落としてしまうのか、いろいろ原因があると思います。一発勝負のレースで緊張したとか、レースにうまく集中できずに失敗するとか、ほかにもいろいろあるでしょう。

そうした原因を、私なりに突き詰めて考えれば、たぶん何かを背負っていたために、うまくバトンをつかむことができなかったということではないでしょうか。頭の中を空っぽにして、レースだけに集中すればよいのですが、何かを考えていて、何かを手放さなかったために、レースでいちばん大切なものを取り損ねてしまうのではないかと思うのです。

ここまで運動会のリレーの話をしていたのですが、じつは何気ない話をしながら今日のイエス様と金持ちの青年の話を考える準備に当てさせてもらいました。金持ちの青年が走り寄って、ひざまずいて尋ねます。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」。

ひざまずいて尋ねるところを見ると、本当に答えを知りたい、そして示された答えを受け入れて、これからの人生を歩んでいきたいという固い気持ちが伺えます。財産のある人が、大勢の人前でひざまずいて人生の答えを求めているのですから、どれだけ真剣であったかがよく伝わります。そしてイエス様が示された答えを聞いて、どうしても、どう考えても受け入れられないと感じたときの悲しみの深さも、相当なものだったろうと思います。

良い心がけで、本当にイエス様の勧めに従おうと思っていた青年でした。ですが、自分の財産を手放すことができなかったのでした。自分のこだわりを捨て、無心になってイエス様の呼びかけを受け取るなら、その青年に必要な道が開けたのでしょうが、どうしても手放せないものがあって、イエス様の差し出した勧めを受け取ることができなかった。それは言ってみれば、イエス様が「永遠の命に至る生き方」というバトンを次の人に渡そうとしたのですが、受け取るはずの青年が落としてしまった、ということなのです。

イエス様は永遠の命を受け継ぐための確かな生き方をご存知です。そして一人ひとりに、永遠の命を受け継ぐ生き方を託すバトンを、運動会のリレーのように渡そうとなさるのです。バトンをうまく受け取ることができるか否かは、心に雑念を作らず、ただバトンを受け取ることに専念しさえすればよいことです。ですが私たちは何かしら手に握ったままでバトンを受け取ろうとするので、うっかりバトンを落としてしまうのではないでしょうか。

青年は、イエス様から、「こうしたら永遠の命を確かなものにできますよ」と、具体的な勧めという形のバトンを手渡されたのですが、受け取ることができませんでした。青年はためらいました。金持ちという生き方は、青年にとってあまりにも魅力的で、捨てることができなかったのでしょう。

バトンを受け取る側である人間の手のひらは、一度に二つのものを掴むようにはできていません。あれかこれか、一方を掴んでもう一方を手放さないと、しっかり掴むことはできないのです。青年は固い気持ちでイエス様から手渡されるバトンを受け取るつもりだったのですが、手を引っ込めたのでした。

運動会のリレーでなく、オリンピックの大会でバトンを受け取り損ねたら、世界中の人がため息をつきます。本人もがっかりするでしょう。けれどもそれは、たとえ世界中の人が見守る中であったとしても、4年に1度の大会での出来事です。イエス様があなたに手渡そうとするバトンは、あるときは永遠の命を受け継ぐことになるかどうかの重大な場面、どんな大会でのミスよりも重大なミスになりかねない場面なのです。

「あなたに欠けているものが一つある」。何が欠けているのか、人それぞれ違うでしょうが、その欠点を直す指示が書かれたバトンを受け取らなければ、天に宝を積むことはできません。手を引っ込めないように、示されたことを勇気を持って受け取り、一日一日歩んでいくことができるように、ミサの中で力を願うことにいたしましょう。
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‥‥次週は‥‥‥
年間第29主日
(マルコ10:35-45)
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