主日の福音2003,8,24
年間第21主日(ヨハネ6:60-69)
あなたの示す道を歩き続けたい

「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れていきたいか」と言われた。諮問・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます・・・」。

これは今日の福音書の最後のくだりですが、この箇所を聞くと、司祭になろう、シスターになろうと目指したことのある人はどなたでも思うところがあるのではないかなあ、と思います。

ちょっと昔の話になりますが、長崎の神学校で中学生だったころのことです。一つ上の先輩の中に、ちょっと変な趣味を持った先輩がおりまして、学期の初日になると私を呼び、前の学期に去っていった神学生の名簿にマジックで線を引く人がいました。

その先輩はこんなことを言っていました。「俺さ、神学校を辞めて行くやつが出るたびに、マジックで線を引くんだ。そして思うんだよ。あー、こいつよりも自分は少し長く続いているんだなあって」。

私は、この先輩悪趣味だなあって一瞬思ったのですが、でも別の見方をすると、去っていった人の分まで自分が頑張らなきゃって、気持ちを新たにしているんだなって思ったわけです。それはそれで自分を励ます方法かなって思ったのでした。

残念ながら、その先輩はあとで神学校を去ることになり、実はその人の名前は私のもっている神学生名簿の中ではマジックで消されてしまったのでした。どんな事情であれ、同じ思いを持ち、励ましあっている仲間が去っていくのはさみしいし、辛いなって常に感じたものです。

その中でも、同級生が去っていくのは、先輩後輩が去っていくこと以上に痛みを感じたものでした。特に私の学年は、中学一年生で入った仲間が結構長く続いたものですから、もしかしたらこのままずっと続くのかなあ、そうだったらいいなあと思っていただけに、高校三年生の夏の出来事はかなりショックを覚えました。

私たちの学年は、中一のとき17人から始まって、高三になっても12人残っていました。これは結構自慢できる数字だったのですが、夏休みが終わって二学期に戻ってみると、なんと12人のうち5人が荷物をまとめて帰っており、二学期の最初には7人になっていたのでした。

私たち神学生は8月31日が神学校に戻る日なんですが、同級生の○○君が見えたので、「よっ!」と声をかけたら、「おれ今日で辞めるけん。じゃあな」と言って別れたのです。共に行き来した同じ門を私は入り、彼は出たのでした。あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。

悪趣味だなって言っていたくせに、私は8月31日神学校に戻ったその日、マジックで同級生の名前を消したのでした。夏休みのうちに5人が去ったわけですから、その日にいっきに5人の名前を消したことになります。いい気持ちはしませんでした。反対に、とても悲しかったのを覚えています。そして同時に、「おれは辞めない。最後の一人になるまで、マジックで消されたりしない」少年ながらにそんなことを思ったのでした。

神学校のような環境にいると、ずっと一緒にこの道を歩いていきたいと思いますが、いろんな事情から道半ばで人数が減っていくことになります。そんな時代を過ごしているものですから、今日の福音に行き当たると、ふっと当時のことを思い出すのです。「あなたがたも離れて行きたいか」。離れる事情はいろいろですが、イエス様の目は残っている弟子たちに向けられているのでした。

「あなたがたも離れて行きたいか」。もしかしたら、イエス様のあの言葉は、今になってもっと大切な意味を持つようになっているのかも知れません。考えてみれば、これからが長丁場なわけで、弟子たちを代表してペトロが答えたように、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか」と、繰り返し返事をしていくことになります。

私の感じとしては、司祭になってから、シスターになってから、「これからもあなたの導き方、あなたのなさり方についていきます」と返事するのは、あの当時返事をすることよりも、もっと難しくなってきていると感じるのです。

かつてはいくらか勢いで、いつまでもついていけますよ、大丈夫ですよと返事をしたのかも知れません。けれども、慣れや甘えやずるさが出てくるようになってから、これからもすべてを捨ててついていきますと返事をするのは、簡単じゃないなあと思うのです。

もちろんこうした経験はすべての人のものではありません。けれども、私たちはすべて、神様に呼ばれて今を生きているのだと思います。結婚生活も、配偶者を失った人がその後も生き続けるということも、いろんな生活、そのどれもが、神様がついてきてくださいと招いているのではないでしょうか。そうであれば、「あなたがたも離れて行きたいか」という問いかけは、一人ひとり考える必要があると思うのです。

「もうこんな生活いやです、誰がこんな生活続けていけるでしょうか」。思わずそうつぶやきたいこともあるかも知れません。ただ、イエス様はそんなときに、返事を聞きたいのです。「この生活で、あなたについていきたいのです」という返事を、あらためて心に誓うことに致しましょう。