主日の福音2003,7,27
年間第17主日(ヨハネ6:1-15)
イエス様が与えるパンを増やそう

今日は最初に忘れ物のお知らせをしたいと思います。私の手にあるこの人形、この派手な色の人形が司祭館に3個ありました。どうも、私の部屋に飾るような人形ではありませんので、きっと小学生・中学生の誰かが忘れて行ったのだと思います。心当たりのある人は、神父様の所に取りに来てください。

いつ取りに来てもいいですが、日中は、小学生中学生の皆さんもクラブだ何だと忙しいでしょうから、朝の早い時間、そうですねぇ、朝の6時に、教会に取りに来てください。ラジオ体操が完全に終わってから渡します。

さて、今日はイエス様が五千人の男の人を前にしてパンを増やす奇跡を行った話ですが、さすがに何百倍に増やす奇跡は出来なくても、私くらいのレベルでも、夏休み中に朝のミサとラジオ体操に来る子どもを一人か二人増やすということはそう難しくないと思っています。そう言いながら、月曜日に増えてなかったら責任ものですが、二つの教会で同じ話をすれば、どちらかは増えるだろうと思っています。

もし、今話している説教の展開が難しくて分からない方は、余り複雑に考えないようにしてください。大事なことはもう少ししてからお話しします。まだお知らせをちょっとしただけですから、心配しないで話の続きを聞いてください。

朗読された福音では、パンの奇跡はあっと驚くしるしなのですが、目の色が変わったのは群衆だけで、弟子たちが興奮した様子も、ましてやイエス様が「ほらご覧なさい」という素振りも見せません。

イエス様の心が動いたのはどこだったのでしょうか。今日のお話の最後に、「イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた」とありますが、イエス様の心が動いたのはむしろこの最後の所だったのかも知れません。

人々がパンにつられて追いかけるのであれば、山に退いてみよう。そうやって何度も場所を移動しながら、奇跡がないところでもついてくるように導いていこう。イエス様の心のなかには、そんな気持ちが働いていたのではないでしょうか。

イエス様から何かを見習うことは出来るでしょうか。なかなか、子どもを増やすことは難しいかも知れませんが、自分の子どもの中に、パンを増やしてあげることは出来るかも知れません。子どもたちは、学校では社会で役に立つ、あるいは進学や就職に役に立つパンをもらってきて、一生懸命食べて増やしているかも知れません。

けれども、神様のこと、私たちを救ってくださるイエス様の教えは、どこで増やしてもらえるのでしょうか?教会学校だけでなく、子どもといちばん長い時間いっしょに過ごす皆さんが、イエス様の教えを消化して伝えてあげれば、子どもの中にパンが増えるのではないでしょうか。イエス様への信仰心を育てるパンをいくつも増やしてあげることは、私たち大人が今日のイエス様に見習うことだと思います。

子どもたちは、いつまでも親からパンをいただき続けるわけではありません。たくさん増やしていただいたパンを消化していくうちに、自分でイエス様からパンをいただくために心を向ける者となっていくでしょう。それこそが、イエス様の期待していること、子どもたちにも、大人たちにも期待していることだと思います。

イエス様に群がった群衆は、最初は食べ物にありつけたのでついてきましたが、神の国を知らせるイエス様に最後までついてくるようにと少しずつ導きました。私たちも、一人ひとり自分のことはもちろんですが、身近な家族や親しい人を、イエス様に最後までついていく人に導いていく。いつも心のどこかに、忘れずに持っておきたいと思います。

今週、私はイエス様とちょっと勝負しようと思います。イエス様はパンを増やしましたが、私は子どもを増やすことで勝負です。パンは食べ物ですが、子どもは生き物です。どちらを増やすのが難しいか、皆さんはどうお思いでしょうか?私はイエス様と勝負します。負けてもともとの勝負かも知れませんが、ひょっとして勝負に勝ったら、いっときは威張ってみようと思っているところです。

次回は「年間第18主日」をお届けいたします。
(ヨハネ6:24-35)