主日の福音2003,7,20
年間第16主日(マルコ6:30-34)
派遣して、喜び迎える体験をしよう


今日朗読された福音は先週のお話とセットです。先週は、弟子たちを宣教に送り出す話、今週はその弟子たちが戻ってきて結果報告をする話になっています。報告を聞いて、イエス様が細かいことを言った様子はありませんので、おおむね、弟子たちは成功したのだと思います。

私たちは人を送り出す経験を、何度か味わってきていると思います。子供を学校に送り出すことから始まって、成長すれば結婚生活に送り出すとか、いろんな形で体験してきていると思うのです。子どもを初めて保育園や学校に送った日、子どもがどんな様子で一日過ごしたのか、興味を持って聞くのではないでしょうか。

皆さんはそんなとき、何を聞きたいのでしょうか?失敗しなかっただろうか、私の教えたとおりにきちんとしていただろうか、そんなことを聞きたいと思うでしょうか?

多分そうではないと思います。どんなに小さな事でもいいから、楽しかった、面白かった、また行きたい、そんな一言を聞きたいのではないでしょうか。ほかのこと、失敗したとか、そんなことはほとんど聞き逃してでも、楽しかったという気持ちにつながる何かを聞き漏らすまいとするのではないかと思います。

イエス様も、弟子たちの帰りを楽しみに待っていました。弟子たちの報告を聞きながら、私たちと同じ気持ちだったのではないでしょうか。失敗しました、うまくいきませんでした、そんな報告があったとしても、イエス様はほとんど気にとめず、こんな喜びがありました。喜んで迎えてもらいました、そんな声を聞き逃すまいとして、耳を傾けてくださったのではないかと思います。

そのことを伺わせるのは、イエス様が弟子たちに細かなことを言わず、「しばらく休みなさい」とだけ仰ったことです。小さな失敗や落ち度がイエス様の耳に留まっていれば、そこはこうしたほうがいい、今度出かけるときは、失敗しないようにとか、いろいろ細かい指示を出したはずです。

思うに私は、イエス様の気持ちって、親が子を思う気持ちなのではないかなと思います。子どもを送り出せば、帰ってくるまですっかり忘れるのではなくて、その間も子どものことを心に留めるでしょうし、楽しいひとときでありますようにと祈る人もいるかも知れません。

帰ってきたらきたで、おかえり、どうだった?よかったね。それだけを伝えることが出来たら、その日は満足なのではないでしょうか。イエス様も、弟子を派遣している間は弟子のことを父なる神に取り次いでいたことでしょうし、やあよく帰ってきたね、細かいことはいいから休みなさいと、声をかけたのだと思います。

ですから、生活の中で誰かを送って、その報告を聞くこともしばしばあることだと思うのですが、私たちは喜んで送ってあげるし、様子もありのまま聞いて、喜んであげたいものだと思います。うまくいかなかったこともあるかも知れませんが、聞く側はうまくいったことにこそ細心の注意を払い、うまくいかなかったことをとやかく言わない、言うべきことがあれば、お手本を見せることで、こうしたらよいのではないかと、示していきたいものです。

イエス様は帰ってきた弟子たちを休ませました。細かい指示もあったかも知れませんが、それはご自分がいろいろ教える姿で、お手本から学ぶように、そういう接し方をしてくださいました。

実は今日日曜日に、子どもたちと佐世保の巡礼指定教会になっている鹿子前教会にロザリオ巡礼に出かけることにしています。夕方四時に帰る予定ですので、その間は収穫があるようにとお祈りして欲しいし、子どもたちに、今日はどうだったと声をかけていただきたいと思います。それは、小さなことをとやかく言うためではなくて、出来たことを、喜んで話していることを、そのまま喜んであげるためです。

初めて鹿子前教会に行く子もたくさんいると思います。きっと、何か報告してくれるのではないでしょうか。よかったねと、喜んであげることで、信仰生活の中でも子どもたちは育っていくわけです。

また一週間ほどすると、今度は浅子教会に五六年生を連れていきます。上級生の方は一泊泊まりですので、それこそいろんなことを見聞きしてくると思います。スポーツでなく、学校の勉強でもなく、信仰体験のために出発する機会は滅多にないでしょうから、どうぞ家族皆で、体験を分け合う機会にしてください。

本当はもう一つここに入れたいものがあります。今年の9月20日から、大人の方に派遣されていく体験を設けております。クルシリオという錬成会ですが、案内を用意していますのでどうぞ参加してみてください。小教区全体で希望者を派遣したいと思いますし、派遣している間は皆で祈ってあげたいと思っています。また、小教区全体で帰りを喜びたいと思っています。

ぜひ、イエス様が弟子を派遣して帰ってきた弟子と喜びを分け合った体験を、自分たちのものにしたいと願います。

次回は「年間第17主日」をお届けいたします。
(ヨハネ6:1-15)