主日の福音2003,5,4
復活節第3主日(ルカ24:35-48)
畑に隠された宝を見つけることです
この暖かい時期に風邪を引きまして、かなり調子を崩しています。こんな時に集中するのは難しいことです。ただでさえ体調不良で集中力を欠いているのに、それに加えて一つでも二つでも集中しづらいことが重なれば、不可能とさえ感じられてきます。
今捧げているミサのように、どうしても代わりを立てることができない場に立ってみると、自分の健康が、自分一人のものではないことがよく分かります。お説教は気合いで準備するものではありません。イエス様の言葉や態度をよく吟味して、黙想したことを分かち合うものです。そして、よく黙想するためには、健康状態も関わってくることがよく分かります。
おそらく、今回の教訓は、自分のために健康を気遣うだけでは不十分で、自分だけの体ではない、みんなのためにも健康を気遣わなくちゃいけないということだったと思います。自分のために何かを守ろう、維持しようというのではなくて、みんなのお役に立つために自分の健康を守ったり、自分の持っている才能を磨いたりする人が、本当の意味で健康を守っている人、才能ある人なのだと分かりました。
さて、今日復活の出来事を伝えているのは、ルカ福音書です。ルカは、イエス様の直接の弟子ではなく、パウロの弟子であったと思われます。このルカもまた、復活したイエス様が弟子たちに現れたいきさつを、弟子たちだけの内輪の話に終わらせないように工夫をしました。
もしも、弟子たちの内輪の話だとしたら、復活したイエス様が弟子たちに現れたことは結構な話ですが、それ以上の広がりはなかったことでしょう。けれども、イエス様が現れてくださったことを自分たちだけの心にしまっておかずに、世界中に広めるようにと語りかけたのでした。
その、出来事に広がりを持たせる大切な言葉を見逃さないようにしましょう。私が「これではないかな」と思った言葉は、後ろから三分の一くらいのところで紹介された、イエス様のちょっとした言葉です。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである」。「これこそあなたがたに言っておいたことである」という呼びかけが、広がりを持たせる言葉だと思いました。
イエス様は、これこそ大事だと言ってから、次のように仰います。「『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる」。
イエス様は、弟子たちに現れてくださったわけですが、もっと大切なことは、「私が復活して、罪の赦しが得られるようになったことを、あらゆる国に知らせなさい。これこそが大切だよ」と、念を押しているのではないでしょうか。
誰でも、自分に起こった出来事は、自分にとっては大切です。けれども、それがそのまま他の人に受け入れてもらえるかは分かりません。「それがどうしたの?」と言われるかも知れないからです。けれども、自分に起こった出来事のなかには、他の人にとってもためになることや、喜びを届けてくれる何かが含まれているかも知れない。もしそうだとしたら、他の人にもためになるように、よくかみ砕いて消化し、人のお役に立てる工夫をする。そうしてはじめて、自分の体験はすばらしいものになるのだと思います。
福音記者ルカは、弟子たちに起こった出来事を弟子たちだけのものにしないために、工夫をしました。あなたたちに与えられた罪の赦しは、そのまま、信じるすべての人に届くのだから、よく理解してあらゆる国の人々に伝えなさい。これこそが大事だよと、今日のお話をまとめたのではないでしょうか。
今日、一人のお子さんの洗礼式が行われます。神は、生まれて間もない子どもに洗礼を授けることで、これからの人生すべてにわたって恵みを与え続ける保証をくださいます。今日の体験を通して、ご夫婦が命の大切さを神様から学ぶきっかけにしていただければ、個人的な体験を消化して家族全体で生かしていくことになるでしょう。
今日このミサに参加する私たちすべてが、神の恵みに守られて命が輝くことを学ぶ体験の場とすることにいたしましょう。
次回は「復活節第4主日」をお届けいたします。
(ヨハネ10:11-18)