主日の福音2002.12.15
待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)
あなたは自分を何だと言うのですか
昨日、いや一昨日だったでしょうか。保育園の園長先生に、テレビ番組を録画したビデオを渡しまして、この中に入っている「ウルトラマン」が大好きな少年に渡してくれとお願いしたんです。最近私はビデオテープ作りにちょっと興味を持ち始めていて、園長先生に渡したビデオにも、ちょっとイタズラを加えて渡しました。
ウルトラマンのビデオには間違いないのですが、それが始まるちょっと前に、声だけ入れて次のようなメッセージを加えたんです。「よい子のみんな。私はウルトラマン。M87星雲からやってきました。よい子のみんなに、私が活躍しているところを見せたいと思って、このビデオを貸しました。よい子のみんなが、これからもずっとよい子でいたら、私が活躍しているところを、これからもときどき見せたいと思います。
ウルトラマンのいるところは、お父さんとお母さんしか知らないので、よい子のみんながこのビデオを見終わったら、お母さんに預けてください。お母さんはウルトラマンのところに持って行って、また新しいのを入れてあげます。楽しみにしていてください」。
私は笑いを必死にこらえて今言ったようなメッセージを入れ、それからウルトラマンの番組を3分間入れたわけです。「私はウルトラマン」と言うところでは、こんなドン腹のウルトラマンがどこにいるかいと思いながら、笑わないようにとものすごく苦労しました。ただ、「私はウルトラマンです」と涼しい顔で言うことができる頃には、かなりのオオカミ少年(うそつき少年)になっていると思います。
さて福音に今の話を結びつけますと、洗礼者ヨハネのもとに遣わされた人々は、ヨハネに、「あなたはどなたですか」と尋ねました。ヨハネはなかなか「私は○○である」と言いません。それは、自分で自分のことを正しく伝えるのは、とても難しいと思っていたからです。洗礼者ヨハネは、神様から使命を受け取っていた預言者でした。けれども、今まで歴史の中で現れた預言者とは違う使命、イエス様のために道を準備する使命をいただいていたので、説明するのが難しかったのです。
ヨハネのところに集まっていた人々は、何か言ってくれることを期待していました。返事をもって帰らなければいけなかったからです。それでもヨハネは黙っていました。けれども、ひとつだけ自分のことをふさわしく説明する方法が残っていました。それは、「イエス様と私はこのようにつながっています」という説明です。「私は、主の道をまっすぐにしなさいと言われている者です。イエス様が来る前に、人間の心を神様にまっすぐ向かうように導くために生まれました」。イエス様とのつながりをちゃんと言える人は、本当の意味で自分が何者か分かっている人なのです。
「私はウルトラマンです」。これはもう明らかにウソです。それは、自分の能力を理解していないし、神様とのつながりが何もありません。自分のことを偉い人のように言うのは、本当は、自分が分かっていないからなのです。自分が何者か分かっている人は、イエス様とのつながりをちゃんと言える人のことなのです。
私は、イエス様とのつながりをちゃんと言えるでしょうか?たとえば、「朝、目が覚めてイエス様に祈りを捧げ、夜寝る前に感謝の祈りを唱えて毎日を過ごしています」。このように言うことのできる人は、イエス様とのつながりをちゃんと表すことのできる人、自分が何者であるかを分かっている人だと思います。難しい説明をする必要はありません。イエス様とどんなふうにつながっているかをちゃんと言えること、それだけです。
もしかしたら、「クリスマスにイエス様の誕生を待っています」。年に一度だけ、クリスマスの時だけイエス様を待ち望んでいる。それが私とイエス様のつながりになっている人がいるかも知れません。年に一度だけイエス様と結ばれているというのは、私の言い方を使えば、「年賀状のあいさつだけの関わり」ということになるのですが、みなさんはどう思いますか?
洗礼者ヨハネは、自分がイエス様としっかり結ばれて生きていると知っていたので、喜びに満ちあふれていました。聖書の別の箇所では、「花婿の介添え人(仲人)はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている」(ヨハネ3:29)と言っています。ヨハネは、イエス様の仲人、イエス様とつながっている人の一人であることが、何よりも喜びだったのです。
一般的に、クリスマスのミサにはたくさんの人がミサに参加してくださいます。遠くから、大島の外から来ている人が何人かいるかも知れません。けれども、クリスマスの時が一年に一度イエス様とつながっているときだという人も、たくさんいるのではないでしょうか。本当に、そのような生活で神様と人々の前で自分のことを説明できるのでしょうか?
じつは、今日の福音でヨハネに尋ねている言葉、「あなたはどなたですか?」は、私が、神様に言われていることでもあると思います。「あなたはだれですか?私に分かるように説明してください」。神様は、そう私に質問しているのです。神様の質問に、私は何と答えるのでしょうか。「私は、自分の力で今まで生きてきた人間です」「私は、これからも自分の力で生きていきます」と答えるのでしょうか?
神様とのつながりをちゃんと言える人になれますように。洗礼者ヨハネのように、神様とのつながりで自分を説明してくれと頼まれたときに、自信をもって、何かが言える人になれるように、準備を急ぎましょう。
来週の福音朗読
待降節第4主日(ルカ1:26-38)