主日の福音2002.10.6
年間第27主日(マタイ21:33-43)
私たちが捨てたものが、神様にとっては宝かも
世の中にはえら〜い先生がいらっしゃるもので、埼玉県の熊谷市で産婦人科の副院長をしておられる、鮫島浩二さんという先生のお話から入ってみたいと思います。
この鮫島副院長は、勤めておられる中山産婦人科クリニックで、子どもの特別養子縁組に熱心に取り組んでおられることで有名です。詳しいことは、インターネットのホームページを訪ねてもらいたいのですが、活動の中心は、この鮫島先生が、子どもを手放す両親と、引き受けたい夫婦と、別個に面談して、あいだを取り持つということです。
鮫島先生と直接お会いしたことがないので、私が偉そうなことを言える立場ではないのですが、最近この先生がステキな詩集を出しまして、その中に、先生の子どもに対する深い愛情を読みとることができました。その詩集の名前は、「わたしがあなたを選びました」となっていて、産まれてくる赤ちゃんが、実は両親を選んだんですよと、今までとは違った見方で新しいいのちを示してくれています。
その、本の題名にもなった「わたしがあなたを選びました」という詩の最後に、このような一節があります。
おとうさん、おかあさん、あなたたちのことを、こう、呼ばせてください。
あなたたちが仲睦まじく結び合ってる姿を見て、
わたしは地上におりる決心をしました。
きっと、わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです。
おとうさん、おかあさん、今、わたしは思っています。
わたしの選びは正しかった、と。
わたしがあなたたちを選びました。
(作者:鮫島 浩二)
この鮫島先生がカトリックであるかどうかは分かりません。ですが、鮫島先生のお考えの中には、カトリックの教えと深く関わる考えがあると思います。赤ちゃんが両親を選びましたというくだりは、言い換えると、神様が、あなたたちを両親として選んでくださって、一人の赤ちゃんをお授けくださるんですよと取ることもできます。
私はそう考えると、この先生の詩を通して、多くの人が神様の深いはからい、命を授けてくださる神秘などについて、触れることができると思うわけです。
さて前置きが長くなりましたが、今日のぶどう園と農夫のたとえを考えるにあたって、お話しした詩集の一節は、大変役に立つと思います。ぶどう園の農夫のところに、たくさんの僕を送りますが、農夫たちはことごとく僕たちを拒み続けます。主人が僕を送り続ける姿は、神様が赤ちゃんをこの世に送り続ける姿なのではないかと思うわけです。そして拒む農夫は、子どもはたくさんいらない、一人いれば十分と、あまり受け入れたがらない今の日本を暗に示しているような気がします。
少子化で大変だあと、日本政府も学者も大声で注意を呼びかけていますが、今日のたとえから学んだように、神様がどなたかの夫婦を選んで、赤ちゃんを送ってくださったのだと思うなら、そして赤ちゃんを受け入れてくれるなら、それだけでも問題は劇的に変わるのではないでしょうか。
もちろん、子どもは欲しくない、少なくとも今はという方もおられるのは確かです。それでも、子どもを授かったらどうしたらよいのでしょう?そんな方々を一組でも二組でも救ってあげるために、特別養子縁組のために働いてくださる鮫島先生のような方が産婦人科の先生に増えてくれたらなあと思います。カトリックの人口がとっても少ない日本の中で、「おとうさん、おかあさん、わたしがあなたたちを選んだのですよ」と呼びかけてくださる先生がいらっしゃるのは、私は「よきおとずれ」だと思います。
小さな命に限ったことではありませんが、神様は私たちの暮らしの中に、誰かを、何かを送ってくださっているわけです。そして弱さのために、私たちはたくさんのものを拒んできたのではないでしょうか。どうして拒むのか、自分の都合を先にするからなのか、そんなことを自分の生活にあてはめて振り返ることにいたしましょう。
そして、これまで拒んできた自分を変えて、一つでも二つでも、神様の送ってくださるものを受け入れていくことができるように、ミサの中で恵みを願ってまいりましょう。
来週の福音朗読
年間第28主日(マタイ22:1-14)