主日の福音2002,8,4
年間第18主日(マタイ14:13-21)
弟子を鍛錬するイエス様

八月に入りました。「八月→暑い夏休み」と来ると、私は高校野球を思い浮かべます。あの暑い盛りに、全国から代表が集まって、一生懸命白球を追う姿は、18年前に卒業していても心を動かされます。皆さんも、多くの人が興味を持っているのではないでしょうか。

何もあの暑い中でやらなくてもいいじゃないかという意見もないではないですが、やはり何かを鍛えるという時に、涼しい中で鍛えることは考えないと思います。「鉄は熱いうちに打て」ではないですが、暑い季節だからこそ、何かを鍛えるのに良い季節なのかも知れません。

そう思って、八月の福音を一通り目を通してみましたら、ちょうど、弟子を鍛える・弟子を育てる様子を八月の朗読に選んでいるようです。今週は「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言って弟子たちを追い込みますし、来週は荒れた湖の中でイエス様への信仰を試そうとします。

そのあと、「主よ、子犬でも主人の食卓から落ちるパン屑を食べます」と言って、イエス様への深い信頼を見せたカナンの女の信仰を目の当たりにしました。そして八月最終週には、弟子たちに「ではあなたたちの信仰を見せてみなさい」と尋ねて、ペトロが立派な信仰告白をするのでした。

うまく、弟子たちの鍛錬の様子を、八月の朗読に配しているなあと、私は考えました。それは同時に、朗読を通して私たちも今月「信仰の面で自分を鍛える月」にしましょうという呼びかけでもあると思うのです。

ですが「さあ鍛えましょう」と言っている私が、練習嫌いではあまり説得力ないかなあと思ったりもします。今でも思い出されるのですが、まだマラソンの練習を真面目にしていた頃、とある先輩が「暑か時こそ走り込むまんば。今はスタミナをつける時期やけんなあ」と言っておりました。あの先輩は、だいたい言うことはちゃんと実行する人でしたから、今でも島をぐるぐる回っているのだと思います。

ちなみにこの先輩は、自分で決めた目標のためには、絶対にやり通す強い信念を持っておりまして、暑いさなか、これでもかと自分を鍛えて、冬のマラソン本番の時期に備えておりました。こんな先輩に、「おう、今走っとかんば、冬にまともに走りきらんぞ」と言われまして、がっくりきたことがあります。彼に言わせると、夏に走り込んだ人の冬の走りが『本当の走り』ということで、慌てて12月にチョロチョロっと走ることを『走る』とは言わないのだそうです。まあそれでも走ろうとしなかった私は、きっと偉かったのでしょう。

さて、イエス様はこれから一ヶ月にわたって弟子を鍛えるために「課題」をお与えになるわけですが、今週の課題は、「イエス様を固く信じる弟子は、ほとんど望みのない時にも望みをかける」ということでした。

弟子たちも腹減っていたでしょうが、目の前には五千人を下らない人が同じくお腹をすかせていたのでした。ここで不満や争いが起これば、イエス様の立場が悪くなる。いったん解散させようと考えるのも無理はありませんでした。

ところがイエス様は、「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」と仰います。どうやってそんなことができるでしょうか?ある程度の人数で、前もって知らされていれば、お弁当の準備もできたかも知れません。でもイエス様の出した宿題は、「今ここで、あなたたちが何とかしなさい」というものだったわけです。

それはどう考えても無理な話でした。とにかく何か食べ物を集めなきゃ、そう思って12人で寄せ集めることができたのは、パン五つと、魚二匹だけだったのです。「先生、これだけしかありません」と答える弟子たちの心はどんな思いだったでしょう。無理です、できません、先生よく考えてください。そういう思いでいっぱいになっていたのではないでしょうか?

「無理です、できません」こう思っている弟子たちの心の中には、かすかな望みもありませんでした。イエス様の宿題は無理難題で、私たちにはこなせない。これじゃあもう落第だ。

けれどもイエス様はそんな彼らの精一杯の努力を汲み取って、五千人を満足させる食べ物を用意してくださいます。そしてこのすばらしい体験を人々に届けるために、弟子を使ってくださったのです。何の望みも希望もないところで、イエス様は希望を与えてくださった。イエス様に希望を置いたら、どんなときにも助けてもらえますよ。それを届けるために、弟子たちは選ばれたのでした。

この体験は、一つの訓練・鍛錬でした。イエス様を固く信じる弟子になるためには、今こそ、希望のない時にこそ、イエス様に希望を置くんだ。この一点を学ぶための、大がかりな鍛錬だったのです。

この夏、イエス様は私たちを鍛えてくださると思います。聖書の朗読は、弟子を鍛える朗読が続きます。朗読を聞く私たちにも、「もうだめだ」と思うような時に、イエス様を固く信じる人になるようにと、その一点を忘れない人になるようにと促しているのではないでしょうか?

希望を持てない目の前の現実に、ただ一人希望を与えてくださるのはイエス様です。そのことを学んだ弟子たちをお手本にして、私たちも同じイエス様の弟子になることにいたしましょう。

来週の福音朗読
年間第19主日(マタイ14:22-33)