主日の福音2002,6,23
年間第12主日(マタイ10:26-33)
だいじょうぶだいじょうぶ
こうして教会にひんぱんにおいでくださる皆さんの中には、いろんな教会の役を引き受けたことのある方々がいらっしゃると思います。または、「研修会」−たとえばクルシリオ−に勧められて出かけていった方もおられることでしょう。
そういうときに、こんな声をかけてもらったのではないでしょうか?「だいじょうぶだいじょうぶ。できるから」。「うん、言われた言われた」とうなずいている方も多いことでしょう。今日はこの辺から入ってみたいと思います。
「だいじょうぶだいじょうぶ」。たいていの場合は、そう言いながら、いろんな不安を消してあげようと思って声をかけているのだと思います。いろんな不安、それは、今抱えている不安もあるでしょうし、引き受けてから、もしも何かが起こって務めを果たせなかったらどうしましょうという心配もあるでしょう。
「だいじょうぶだから」。励ましてあげる人は、優しい言葉をかけるだけではいけませんね。今抱えている不安も、これから先−それはまだ起こっていませんが−起こるかも知れない不安も含めて、一緒になって面倒を見てあげる、そんな気持ちで励まさないと、言うだけの人になってしまいます。もちろん、たいていの人は、いろんな心配を承知の上で励ましてくださっています。
「だいじょうぶだいじょうぶ」。これは、心配がなくなりますよという約束ではありません。人が大丈夫と言ってくれても、何かを引き受けて心配が減ることはないでしょうが、みんながきっと助けてくれる、そう勇気づけられる言葉ですね。
ためらっている人に何かを勧めるときには、こうした励ましは本当に力になると思います。もし、「大丈夫だよ」と言ってくれる人が神様だったら、どれほど心強いことでしょうか?
実は、きょうの福音では、同じ事が言われているんだと思います。朗読の最初に、「人々を恐れてはならない」と励ましていますが、これは弟子たちを送り出すにあたって励ましている言葉です。今日の朗読に三回出てきました。私たちが先に考えた「だいじょぶだいじょうぶ」というのと同じ励ましです。
身近な例で考えたときは、教会の役を引き受けたり、研修に行ってみたりということでしたが、イエス様が「だいじょうぶだよ、恐れてはいけないよ」と言って励ましたのは、どんな仕事を弟子たちに任せるときだったでしょうか?
それは、弟子たちにこう命じたときでした。「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」。神の言葉を言い広めるあなたたちは、人々を恐れてはいけない、尻込みしてはいけないということです。
イエス様に選ばれた弟子たちですから、神の言葉を伝えるのに恐れたりしないでしょうと思うかも知れません。けれども、イエス様は厳しい迫害が待っていることを臭わせています。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(28節)。この福音書が読まれていた頃には、もうすでに迫害が目の前に迫っていたのでしょう。
弟子たちは、そういう危険な中でも、恐れずに神の言葉を宣べ伝えました。きっと最初のキリスト信者たちも、同じように宣べ伝えたと思います。死と隣り合わせの中で神の言葉を宣べ伝える力、それは共にいてくださるイエス様の励まし「だいじょうぶだよ、恐れなくていいよ」という言葉でした。
イエス様は弟子たちを励まして、神の言葉を宣べ伝えるために送り出しました。最初のキリスト信者たちも、迫害の危険を承知の上で、神の言葉を宣べ伝えました。聖書に残されている生きたお手本は、間違いなく私たちのためのものです。私は、神の言葉を宣べ伝えるために、体を張っているでしょうか?
確かに、目に見えて迫害の危険はないかも知れません。けれども、体を張ってキリストを証しする場面はあるのではないでしょうか。家族の誰も、生活の中でお祈りをしていないとしましょう。そんなとき、私が体を張って祈るなら、イエス様の「恐れるな」という言葉を聞くのだと思います。
中学生。教会学校をすまーしてサボっている友達に、「教会学校に行こう」と誘うのは、たいへん勇気のいることだと思います。でもその時、「恐れるな」というイエス様の声を思い出して欲しいと思います。そんなことできないと思っていることでも、イエス様は「恐れずに、やってみなさい。大丈夫だから」と励ましてくださいます。
イエス様の最後の言葉は、迫害の中でも信仰を証しした人には大きな慰めです。「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す」(32節)。
言葉で、態度で、勇気を出して自分をイエス様の仲間だと言いましょう。「恐れるな」と言うイエス様の言葉に、どこまでも信頼する生き方を貫く人になりましょう。
来週の福音
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