主日の福音2002,5,12
主の昇天(マタイ28:16-20)
いちばんのポイントを逃さないように

先週、侍者の子供たちと釣りに行った時点で、これをたとえにして、今週は話そうと心に決めていたのですが、考えていた結果が得られず、泣く泣く没にすることにいたしました。

どういうことかと申しますと、世の中、不信心な者は信心な者には勝てないのだと、そういう物のたとえにしようという魂胆があったのですが、不信心と信心者の対決と位置づけていた勝負に、私は見事に負けてしまいました。

どうして不信心な者に(最近は心を入れ替えつつあるんですが)負けるかなあ、そんなはずないのにと思いつつも、結果は残るわけで、あーこれではもののたとえにならないと、泣く泣く取り下げることに相成ったわけであります。

まあそれはいいとして、これとはまた別の場で体験した話です。とある大先輩の話なのですが、このお方は釣りをしているあいだじゅう、魚がどんな様子で、今何をしているか、ぶつぶつぶつぶつ話をなさるのです。

「そら、今目の前にエビが来たぞ。あー魚が腕組みをして考えている。はよう、食いつかんか。うーん、まだか。今度は周りの様子が気になったか。見回して、安全を確認して、それ!食いついた!」まあ忙しいお方です。それでも、ばっちり針がかりさせて釣り上げるわけですから、あながちうそとまでは言い切れないところもあります。

面白いのは、それを真剣になって話しているということなんです。真顔になって、「お前は信じとらんかも知れんけど、本当ぞ。魚はおれの言うた通りにしよっとぞ」と仰るんです。大先輩の言うことですから、笑い飛ばすわけにも行かず、はあそうですか、へぇなるほどとあいづちは打つのですが、今もってその本心はつかめません。

事の大小は別にして、その人が取り組んでいるそのものの、いちばん大切なことをつかんでいるかどうか、これは非常に大切なことではないでしょうか?先のエビに食いつくまでの「魚の心理」まで話してくれる先輩も、内容はどうであれ、いちばん良いタイミングで針がかりさせるわけですから、いちばん肝心なところはつかんでいるわけです。

今日、主の昇天をお祝いしておりますが、これまでの話の流れに沿って考えると、イエス様が天に昇るというこの大きな出来事の、いちばん肝心な点は何か、それを押さえておくことは大切です。どのように天に昇っていったのか、どの山であったのか、天に昇ったその場所はどこか?これらは2の次、3の次の問題だということが、ここではっきりすると思います。

もちろんそうは言いましても、人間は心だけでなく体も持っているわけですから、イエス様が天に昇られた様子とか、場所とかも気にはなります。イスラエルには、「ご昇天の間」という部屋がありまして、そこにはまことしやかに足形が残されております。イエス様が昇天したときの足跡という説明でしたが、象よりも大きな足形を、どうして信じたらよいのでしょうか?

足形にしてもそうなんですが、大事なのは足形の大きさなのではなくて、天に昇られたこと、この一点が、どんな意味があるかが問題なのです。足形が着くほど踏ん張って昇ったのか、ふわっと昇られたのか、そんなことは問題ではなくて、天に昇られたことが、私たちにとってどんな良いことを運んでくれるのか、それに目を向けなければいけないのです。

第一朗読の中で、天を見つめていた弟子たちに、神の使いが話しかけます。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」(使徒言行録1章11節)。前を見据えて、イエス様が天に昇られたことが、自分たちにとってどんな意味があるのかをよく考えなさいという諭しだったわけです。

どんな意味があったのでしょうか。福音書は昇天の詳しい様子を書こうとせず、出来事の大切な意味を教えようとしています。イエス様の言葉がそのまま答えです。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ2820節)。

復活したイエス様です。死を乗り越えた体です。いつまでも弟子たちと留まるということもあり得たでしょう。けれども、イエス様が天に昇られることで、弟子たちだけでなく、イエス様を信じるすべての人のそば近くにいることができるようになりました。

仮にイエス様が、地球のどこかに立っておられるなら、地球の裏側の人にとって遠いお方ですが、父なる神のもとにおられるイエス様は、今私たちにとっていちばん近くにいることになるのではないでしょうか?

うそ偽りなく、天に昇られたイエス様が私たちと共にいてくださるのであれば、ある時は助けてくださり、ある時は慰めてくださり、またあるときは力を与えてくださるはずです。はたしてその通りにしてくださっているでしょうか?答えは、来週の聖霊降臨で証明されると思います。天に昇られたイエス様は確かにいつも私たちと共にいてくださり、聖霊を送って助け、慰め、力を与えてくださいます。

ご昇天のいちばん大切な意義を、しっかり持ち帰るようにいたしましょう。

来週の福音朗読
聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23