主日の福音2002,5,5
復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)
「広報の日」を迎えて

今年も「世界広報の日」が巡ってきました。この日は、テレビ・新聞・雑誌・ラジオ・また映画などの広報機関を用いて行う宣教について教会全体として考え、反省し、祈り、犠牲を捧げ、献金する日となっております。

教皇様は、この日にあたり、全世界のキリスト信者に向けて、これまでとは違った取り組みに私たちの目を向けようとしておられます。それは、「インターネット」という方法です。福音宣教の新たな場所として、人と人とが出会うための大きな可能性を持った方法として、インターネットを取り上げてくださいました。

詳しい内容は、うしろに何部か置いていますので、よかったら手に取ってみてください。そのメッセージの中から、教皇様が特に念を押していることを一つ、みなさんに紹介したいと思います。

全体を6つに分けてお話しされているのですが、その、6番目、最後の段落で、言いたいことが述べられておりました。「(数え切れほどの情報が映し出されるインターネットの世界の中で)はたして、キリストのみ顔は見いだせるのでしょうか?キリストの声は聞かれているのでしょうか?」

「キリストのみ顔が見いだされ、その声が聞かれたときにだけ(中略)…、インターネットを真の人間的な空間に変えていくのです」。どこまでもつながり、どこまでも文字や音、果ては映像を届けていくこのインターネットに、イエスキリストの居場所を築いていく。私たちがこの新しい方法を使って、インターネットの世界にキリストの居場所を用意していくように、教皇様は励ましてくださっています。

ちなみに、こんなことも仰っていますので、特にこれからの世代の方々は心に留めて欲しいものです。「ですから、この『世界広報の日』に、わたしは全教会に呼びかけたいと思います。勇気をもってこの新しい敷居を越えてみてください」。

人と人とのつながりを煩わしいと思う人々が増えてきている中で、インターネットは格好の「逃げ場」となる危険もありますが、努力次第では神様を感じさせるすばらしい場にすることもできるし、いつの日か、実際にその人と神様のことを語り合うきっかけにすることもできるのです。

もちろん、インターネットが福音宣教の場になる日は、目の前とは言えないと思います。福音宣教の新しい場所で、すばらしいことに教皇様は目をつけてくださったとは思いますが、すべての人が手にしているわけではありません。私たちの目の前にあるもので、教皇様の呼びかけを生かす道を考えてみましょう。

もう一度、教皇様の呼びかけに注意したいと思います。「キリストのみ顔が見いだされ、その声が聞かれたときに(中略)…インターネットを真の人間的な空間に変えるのです」。「キリストの居場所がないならば、人間の居場所もないからです」とも仰います。キリストの居場所を取っておくこと、これが、今週私たちにより身近なこととして求められていることなのです。

実はこのメッセージは、今日の福音の解説でもあると思います。イエス様の次のような言葉です。「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」。キリストの居場所があるなら、そこは真の意味で生きている場所であり、キリストの居場所を取っておくように心がける人たちは、本当の意味で「生きた暮らし」をしていると言えるのです。

そこで、話を「私の暮らし」と深く結びつけましょう。皆さんの家庭にはテレビがあります。テレビは一日中つけているけれども、イエス様の話はテレビの中でめったに出てまいりません。この前は曾野綾子さんがNHKに出ておられましたが、すべての人が見てくれるとも限りません。

真剣に探せば、「心のともしび」などの番組もあるにはあります。けれども毎日とか、もっと言うと1日に2度3度、イエス様の居場所がテレビの中にあるかというと、そうではないでしょう。どうすればいいのでしょうか?

中田神父の一つの提案として、こんな方法はいかがでしょうか?おそらく皆さんが1日見るあいだに、2度3度とイスラエルの様子が放送されていると思います。今は目を覆いたくなるような報道かも知れませんが、もしも皆さんが、その放送を見るたびに、「あのような暴力が、1日も早く終わりますように」と願うならば、そこにはイエス・キリストがおられるのではないでしょうか?

また、事件も嫌と言うほど目にします。命を粗末にする放送が流れたときに、神様が与えてくださった命を、もっと大切にしますようにと、心から願うならば、そこにキリストはおられるのではないでしょうか?また、喜ばしい放送の中で神様に感謝できるなら、私たちは放送の中にキリストの顔を見、キリストの声を聞くことになるのではないでしょうか?

今日、世界広報の日を前にして、まずは教皇様と心を合わせて祈ることにしましょう。そして、今世の中に行き渡っている広報手段の中に、キリストの居場所が常に、具体的に築かれていきますように、私たちの努力を積み上げていきたいと思います。

来週の福音
主の昇天(マタイ28:16-20)