主日の福音2002,4,28
復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)
証しする隅の親石となるために
昨年度の中学生の勉強会の中で、二年間に渡って勉強した長崎県内のキリシタンの先輩たちのお話の中で、浦上の先祖の話に触れたことがありました。当時のことを思い起こす品が、浦上教会の敷地のあちこちに残されておりまして、わたしは五年間の浦上時代の経験も含めて、ある意味得意げに子供たちに話しておりました。
その中に、浦上のキリシタンたちを拷問した数々の道具の紹介がありまして、数々の迫害にもめげずに、浦上のキリシタンたちは立派に信仰を守り通し、今に信仰を伝えている。ある意味で彼らがささげた犠牲が、長崎のキリシタンたちの力になっていったんだよみたいな話をとうとうと話したわけです。
教科書の写真を見せながら、「見てごらん、この十字架は、当時キリシタンを縛り上げてつるした柿の木を材料に使って作られた十字架なんだよ。これを浦上教会のミサの時は、パンとぶどう酒と一緒に奉納するようにしているんだ。それは、『私たちは先祖の貴い犠牲も、イエス様の祭壇におささげします』という気持ちの表れなんだよ」。私もつい力が入って、身振り手振りで説明しました。
もう一つ、当時の迫害をしのばせる写真が、教科書の中にありました。一人の人間が手をいっぱいに回しても手の届かないような大きな石が写真として載せてありまして、それは、先祖のキリシタンたちを苦しめるために、上から乗せた重石なのだそうです。
私はそこまでは知りませんで、浦上にいた頃は、なんとまあその石の上で、子供たちと一緒に鬼ごっこをして遊んでいたのでした。太田尾・間瀬の中学生に、これは当時の拷問に使われた石なんだけど、神父様は知らずにその上に乗って遊んでたよと言いましたら、「いやー、神父様、悪かあ」と言われました。
中学生はどんな気持ちだったか分かりませんが、確かに迫害の歴史に関わる石であれば、その上に寝っ転がったり遊んだりしては申し訳が立ちません。その石は声を出すことも拒むこともないでしょうが、ある意味殉教者の痛みを今に受け継いでいるわけですし、人は死んでしまうけれども、石は語り続けると言えるかも知れません。その石は、物言わぬ迫害の証拠品、浦上キリシタンの歴史の一部が、その石の中に生きているわけです。
こうしてみると、たかが石、されど石、ということになります。今は庭園を飾るその大きな基礎石、血は通っていないけれども、その中に迫害時代のキリシタンの信仰が生きていて、石を通して深く学ぶ人の中に、先祖の信仰が宿るということでしょう。
今日の福音の中に、次のようなイエス様の言葉があります。「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい」(11節)。先の浦上教会に残されている石のたとえが、今日のイエス様の言葉をある程度伝えてくれないでしょうか。イエス様の中に、父は生きておられます。イエス様を知り、受け入れ、信じる人は、父なる神を受け入れ、信じることなのです。
物言わぬ石は、何も知らない人にとっては格好の遊び道具になってしまいましたが、イエス様は違います。私たちは幸いに、こうして教会に集い、イエス様の語る言葉、一つ一つの働きに目を注ぎ、学ぶことができます。イエス様を通して、見えない神の深い愛を知り、神はここまでして、それは十字架の死を通してということですが、私たちを救いたいのだなと、あらためて感謝の気持ちがわいてくるのではないでしょうか。
ついこの前も、浦上教会の司祭叙階式に参列しましたし、明日も高見司教様の司教叙階式に参列することになっております。その折り、きっとあの中学生と一緒に勉強した浦上の迫害の証拠品も、思い出して眺めることになると思います。この証拠品の中に、先祖の偉大な信仰の歴史が生きていて、それが今も受け継がれていると思うときに、私も、両親から、また祖父母からいただいた信仰が自分の中で本当に生きているか、改めて考え直してみたいと思います。
私たちも、こうしてミサに集い、イエス様のみことばと聖体に養われることで、イエス様のうちに父なる神が生きておられ、イエス様をいただくことで、今度は私たちの内に、イエス様を生きた姿で人々に示していくことにいたしましょう。私たちが、信仰を伝える生きた礎となることができるように、続けてミサの中で祈ってまいりましょう。
来週の福音朗読
復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)