主日の福音2002,3,30
復活徹夜祭(マタイ28:1-10)
あなたの希望は、今日報われました

主の御復活、おめでとうございます。イエス様の受難の中にも救いを読み取り、希望を保ちながら今日まで来ましたが、今日こそは、喜びを表に出すときがやってまいりました。声に出して、表情に出して、喜びをかみしめましょう。

朗読されたマタイの福音書で、マグダラのマリアともう一人のマリアは、私たちと同じ思いでこの数日間を過ごしてきました。イエス様は十字架にかけられ、遺体を新しい墓に葬ったこともその目で確かめたことでしょう。それでも、イエス様への希望と信頼を失わず、遺体のお世話をしようと墓に向かいます。ところが彼女たちは、その目で新しい希望を見ることになります。


「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」
(28:5-6参照)。主の使いは、イエスへの信頼を失わずに墓に来た婦人たちに、あなたたちの希望への答えは、復活という輝かしい形で与えられますと答えました。

そして、その喜びは、すぐに与えられることになります。イエスにかけた希望は、すぐに叶えられる。それも、私たちの予想もつかないようなすばらしい形で報われる。今日は、このメッセージを皆さんに届けたいと思います。


主の天使は、二人の婦人に復活を知らせました。それは、婦人たちを驚かせるのに十分でした。ところが、イエス様はその喜びをすぐに、確かなものにしてくださいます。弟子たちに知らせに行く婦人たちに、イエス様は現れてくださり、最後まで、十字架上の死、またその後の埋葬のあとも失わなかった希望に、わたしはすぐに返事をしましょう。あなたたちが最後まで持ち続けた希望の答えは、このわたし、復活したキリストですと、見える形で、しかもすぐに答えをくださったのでした。


今日、この徹夜祭の中で一人の方が洗礼をお受けになります。かれこれ半年近くの準備をし、そのあいだご主人とずっと司祭館に通ってきてくださいました。半年しんぼうして準備をすることは、そうたやすいことではありませんが、志願者の方は、不安と期待が入り交じる中で、希望を持ち続けて今日を迎えました。


最後まで希望を失わずに続けたことが、今日報われます。イエス様は、最後まで希望を持って歩んでこられたこの洗礼志願者に、今、すぐに報いてくださいます。復活したイエス様が、予想もできない喜びで恵みを返してくださるのです。希望を失わずに過ごしたマグダラのマリアに報いてくださったように、イエス様は洗礼の恵みですぐに答えてくださいます。


私たちも、マグダラのマリア、また今日洗礼をお受けになる洗礼志願者の方と同じ希望を持ちましょう。あなたが持ち続けた希望は、イエス様に寄せた信頼は、イエス様がすぐに答えてくださいます。


マグダラのマリアは、墓に眠っているイエス様に希望を置きましたが、答えてくださるイエス様はまったく違う形で、復活した姿で答えてくださいました。私たちの希望に、イエス様はまったく違う形で答えてくださるのかも知れません。けれども、イエス様が示してくださる報いは、私たちにとって十分です。マグダラのマリアに、また今日の洗礼志願者に示された恵み深い答えは、ひいきなく、まったく公平に、信じるすべての人に与えられるのです。


感謝しましょう。イエス様に希望を置き、信頼を失わずに生きてきた答えは、今日、恵みとしてすぐに与えられます。復活したイエス様は、信頼を失わずに生きてきたあなたに、報いを、恵みを与えようと待っておられるのです。これから引き続き洗礼と堅信の秘跡を受ける志願者の方と心を合わせて、私たちも復活したイエス様の恵みに与ることにいたしましょう。