主日の福音2002,3,28
聖木曜日(ヨハネ13:1-15)
juravit dominus et non paenitebit eum

いよいよ、聖なる一週間の中でも、礼拝の頂点となる三日間を迎えました。今日の聖木曜日は、御聖体の秘跡と、御聖体を取り扱う司祭職の制定をお定めになります。私たち司祭がよく聞かされていた言葉は、「今日は司祭のお祝い日です」という言葉でした。

さて聖木曜日は、皆さんが直接目にすることはないのですが、とっても大切なミサが行われます。毎年、聖木曜日に決まっておこなっていますが、司教様司式で、「聖香油のミサ」が行われています。


皆さんは、小さい頃のお勉強で、堅信の秘跡に用いる「聖香油」のことを習ったと思いますし、また今でも教えとしては覚えていると思います。堅信の秘跡に用いる油は、「司教様が聖木曜日に、香を混ぜて祝別したオリーブ油」でした。この油と、ほかに「病者の塗油の油」「洗礼志願者のための油」というものを用意します。


聖木曜日の、司教様が油を祝別するミサを「聖香油のミサ」と言ったりしますが、これが毎年今日の聖木曜日に行われ、司祭はなるべくこのミサに集まって、司教様と一緒にミサを捧げ、油を分けていただいて持ち帰るのです。


今年も、この聖香油のミサに与って、油を持ち帰ってまいりました。毎年この聖香油のミサの中で、司祭は司教様との固い絆を確認し、司教様への忠実、司祭としての忠実を約束するわけですが、今年の司教様のお説教は、格別心に響きましたので、司教様に成り代わって、皆さんと司祭職のあり方について考えてみたいと思います。


司教様は、一つのラテン語の聖歌を引き合いに出されて、司祭職の尊さについて語り始めました。ラテン語そのものは省きますが、「あなたは永遠の祭司」というものです。その詩の一節に、「(あなたを司祭にすることを)主は誓われた、そして後悔しておられない」という言葉があり、それを取り上げて切々と司祭職の尊さを思い起こすように、集まった司祭に諭されたのでした。


司教様が特に伝えたかったことは、次のことでした。「司祭をお選びになったのは神ご自身ですから、あなたのほうに欠点があっても、神はあなたを司祭として選ばれたことを後悔しておられません。ですから、聖木曜日にこうして集まり、司教と司祭団が一堂に会してミサを捧げる中で、尊い司祭職に招かれたことをあらためて感謝することにいたしましょう」。


司教様のお説教で、今日ほど感心して聞き惚れたことはありませんでした。司祭は、常に自分の才能や、適性や、期待されていることにいくらかの矛盾を感じて生きております。自分はここまで司祭としてやってきたけれども、本当は適性がなかったのではないか、期待されていることに応えてこなかったのではないか、そもそも才能に欠けていたのではないか。


そうした矛盾や、不安や、悩みをかかえながら日々祈りの中で努力しているわけですが、司教様はそれを承知の上で、司祭一人ひとりを励ましてくださったのだと思います。「あなたをお選びになったのはイエス様です。イエス様は十二人の弟子をお選びになったように、あなたも司祭として選んでくださいました。イエス様が、お選びになった十二人の弟子を後悔しておられないのと同じように、あなたを選んだことを後悔しておられません。あなたはイエス様から愛されています」。


今日、福音書ではイエス様が弟子たちの足を洗いました。ご自分がお選びになった弟子、まったく後悔しておられないこと、むしろ今でも、裏切りを受ける直前になってまでも、愛し抜き、後悔なさられない姿が描かれているのでしょう。


今日、聖香油のミサに与った司祭たちにとって、もうそれで十分だったのかも知れません。また一年、司祭として新たな一歩を踏み出すために、わたしはあなたを選んだことを後悔していません。ただその一言で十分だったろうと思います。不足をあげればきりがありませんが、今年もまた、弟子たちの足を洗われたイエス様に倣って、置かれた中で真心込めて奉仕する一年でありたいと思いました。