主日の福音2002,1,27(カトリック児童福祉の日献金)
年間第三主日(マタイ4:12-23)
引き立てるイエス様、応える私たち

今週の福音、後ろ半分はイエス様が弟子たちを集める話を紹介しています。漁師がイエス様に呼び出され、選ばれましたが、呼ばれた人たちは皆、網を捨てたり、舟を置いたりして従っていきました。

私は、「網を捨てて、舟を置いてついていったあの漁師の人たちは、偉いなあ」と思って、これまで一度も疑うことなく、この箇所を読んでいたのですが、でもよく考えると、「じゃあ生活の糧、これまで頼りにしてきた道具を横に置かせるイエス様は、どれだけ偉いだろうか」と思ったわけです。今日はこの点を考えてみましょう。

じゃあイエス様の何が偉いかと言って、書き記されていることから探すよりほかにありませんが、「わたしについてきなさい、人間をとる漁師にしよう」という呼びかけが、どうやら鍵になりそうです。

イエス様のこの呼びかけは、声かけられた漁師さんたちが、将来、多くの人の心をとらえて、イエス様のもとに導くということを言っているわけですが、弟子たちが声をかけられた瞬間に、そのことを理解したかというと、そうも言えないと思います。ここにいる漁師さんたちは、自分たちが宣教活動をすることになるとは、夢にも思っていなかった人たちです。


考えられることを探ってみましょう。ペトロもアンデレも、ヤコブもヨハネも、湖で網を扱うことはお手の物、もしかしたら、ちょっとは名の知れた漁師だったのかも知れません。


海の底を調べる魚探も、船の正確な位置を知るGPSもない時代に、魚のいそうな場所をぴたりと当て、一網打尽にする腕利きの漁師。網がいっぱいになる感触をいつも楽しみにして、あるいは忘れられなくて、漁に打ち込んでいた。そんなところでしょう。


それは言ってみれば、漁師の自由になる土俵で、自分で自分を引き立たせることでした。この四人の漁師に、イエス様はあえて、「わたしが、もっと君たちを引き立てて見せよう」と仰っているのです。

イエス様なりの引き立て方、それはこういうことでした。「魚は、まあまあ、君たちの思い通りに網にたぐり寄せられるだろう。だが、自分で考えて動いて回る人間たちを、君たちはその網で捕らえることができるかな?わたしについてくれば、それができるようにしてあげるよ」。声をかけられた瞬間、これだけのことは漁師たちにも分かったかも知れません。

考えてみると、私たちは、自分の自由になる場所で、思い通りの結果を出すことをついつい選びがちです。そこそこ満足できますし、そう難しくないからです。ところがイエス様は、そういう楽な道を紹介してくれません。イエス様の招きは、それ相応に、困難があるのです。思い通りにならない場所で、難しいなあと感じたり、人知れず苦しんだりしながら、もっと価値ある喜びまで連れていってくれるのです。

イエス様が、声をかけて人をお呼びになることを「召命」と言ったりします。一般には、司祭・修道者に招かれることを言いますが、本当は、誰もが神様に招かれていて、今よりももっとあなたを引き立てるような呼びかけを用意してくださっているのではないでしょうか。

司祭・修道者には、その道でないと体験できない喜びと苦しみを体験させて、お呼びになった人たちを引き立たせてくださいます。実は、同じことをイエス様はすべての人に体験させようとしているのです。あの当時、律法の専門家を招かずに、社会生活のまっただ中にあった漁師を呼んだのは、すべての人をイエス様は呼んでおられるんだよ、というしるしに見えてなりません。


イエス様はお呼びになって、一人ひとりを引き立ててくださいます。自分で自分を磨くよりも、何倍も輝く人にしてくださいます。けれどもその道は、楽なことばかりではありません。一人ひとり違った、苦しみを通って、もっと鍛えられ、その人の良さが現れるのです。


結婚生活に、神様はあなたを呼んでくださいました。神様も、きっとあなたを結婚生活に呼んでくださったのだと思います。あなたの良さを引き出すため、あなたをもっと引き立てるためです。


ところが、結婚生活はそうそう楽なものではありません。思い通りにならないことばかり、面倒なことが次から次にやってきます。でもそれは、確かにイエス様があなたを呼んでくださった証拠かも知れません。結婚生活が楽なことばかり、こんなに「楽」していいの?と感じるなら、後半の人生は困難だらけ、そういう計画を立てているのかも知れません。

あるいは単身赴任の生活、そうそう思い通りになるものではありません。司祭・修道者、高齢者、何らかのハンデを背負った人、どんな人でも、イエス様があなたを呼んでくださって、その人なりの困難を乗り越えてから、あなたが引き立つようにと、計画してくださっているのです。

畑違いの漁師たちが、イエス様に呼ばれました。今まで網を自由自在に操って、それなりの漁をあげる生活から、言うことも聞かない、どっちに動くかも分からない、苦しみながらも、そんな人を網で捕らえる漁師になることで、ペトロもアンデレも、もっと自分の株が上がったのです。

もっとあなたを引き立ててくださるイエス様が、声をかけてくださいました。今与えられた生活、生き方を、困難を乗り越えて引き立ててくださるあのイエス様の呼びかけととらえましょう。そして、イエス様と共に歩んでいく、イエス様についていく決意を新たにいたしましょう。