主日の福音2002,1,20
年間第二主日(ヨハネ1:29-34)
百聞は一見に如かず

私はテレビを見ていて一番集中している時間は、コマーシャルの時間です。ドラマは、1時間見ていないと内容が分かりませんが、コマーシャルだったら15秒できちんと分かるように作られています。深夜のコマーシャルでも、どんなに長くても1分です。

いろいろ面白いものがあります(といっても、私が面白いと思ったコマーシャルですが)。一つ紹介すると、化粧品のコマーシャル。
40歳以上の年齢化粧品。もうここまで言えば分かっている人もいるかと思いますが、あれは面白いです。

たとえば、あのシリーズのパックのコマーシャルで、「
40歳を過ぎたお肌は、目元、口元、ぎりぎりまでパックしてください。そう。目元、口元ぎりぎりまでです」と言いながら、じっくりパックする様子を紹介しますね。みなさんは、あのコマーシャルをどんな風に見ておられますか?

私は、自分でパックしているような錯覚を覚えます。もちろん私は男性ですから、パックということ自体が縁遠い話なんですけれども、これだけじっくり見せられると、きっと世の多くの女性はその気になってみているんだろうなあと思うわけです。で、最後の落ちは、「無料お試しセットのお申し込みは、0120−444−444」。うーん、実に良くできていると思いませんか?


あのコマーシャルで一番大切なこと、考えたことありますか?私は、「体験させること」だと思います。あの
15秒で、どれだけ体験を伝えて、見ている人に分かってもらうか、これが一番大事なことだと思います。たとえば音。ビールとかジュースの宣伝では、飲みっぷりを伝えるために「あ〜」とか「くぅ〜」とか言うわけでしょ。やっぱり、「ごく、ごく、あ〜」と言われれば、誰でもビールを飲みたくなると思います。つまり、「体験させる」のです。「おいしい」を体験させる、「目元、口元、ぎりぎり」を、15秒の間で体験させているのです。

さて、福音書に入りましょう。今日、洗礼者ヨハネが最初に語った、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」という言葉は、ヨハネの体験から出てきた言葉です。ヨハネは来るべき方がどなたか知りませんでしたが
(31節参照)、彼は、「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」という神の声と全く同じことを見たのです。

これが、洗礼者ヨハネの体験でした。神の言葉は、すでに与えられていましたが、神は、前もってヨハネに語った言葉を、体験させてくださったのです。人間にとって、体験が一番大きな力を持っていることを、神様はよく知っていたのです。だから、神様はご自分が話したことを、洗礼者ヨハネに体験させてくださいました。


ヨハネはこのあと、「神の子」イエスキリストを証しします。自分が人々に勧めていた「悔い改めの洗礼」のかわりに、イエス様が授ける「聖霊による洗礼」を証しします。それは、新しい体験をして、完全に変わったからです。今までは、言葉だけで救い主のことを話していましたが、これからは、「体験したこと」「見たこと」を証しできるようになりました。たくさん並べた言葉も、「体験」には勝てないのです。


神様を体験した人は、体験したことを忘れません。甘い味を覚えた人は、甘いものを食べなくても忘れません。
15秒で深い体験をした人は、0120の電話番号に電話をします。神様を体験した人は、ほんとうは、神様を忘れないのです。

今、「本当は」と言いました。時々人は、神様のことを忘れてしまいます。けれどもそれは、忘れているのではなくて、神様と何かを比べて、神様のほうを捨てているのです。もっとわかりやすい体験をしたので、神様を捨てて別のことを取るのです。財産、名誉、あらゆる人間の欲望です。


洗礼者ヨハネは、最後にはヘロデによっていのちを取り上げられました。けれどもヨハネは、自分のいのちとイエス様を比べたときに、イエス様のほうを取ったのです。長生きすることよりも、いのちをかけてイエス様を証しする事を選びました。「世の罪を取り除く神の子羊」を「見た」からです。「救い主」を「体験」して、イエス様を証しするが、何よりもすばらしいと分かったからです。


すこーし私たちは、体験が足りないかも知れません。
15秒の体験はたくさんしていますが、神様を身近に感じる体験が足りないかも知れません。神様が近くにいることを、ぜひ知って欲しいと思います。神様から離れないことがすばらしい喜びになることを、早く体験して欲しいのです。

今まで、「もうダメだ」という苦しい時を、乗り越えてきた人がいます。その人が知らないところで、祈ってもらっていたのではないでしょうか。過ちばかり繰り返す人が、ある時、すばらしい回心をします。たくさんの人がその人を見捨てたのに、誰かが、その人のために祈ってくれていたのではないでしょうか。神様はいろんな人を通して、あなたのために祈っていると思います。誰も知らないところで、祈ってくれています。もし、「私のために祈ってくれている人がいる」と気づいたとき、その時あなたは神様を体験していると思います。


体験が、洗礼者ヨハネの活動を強めました。きっと神様は、あなたの信仰を強めるために、何かを体験させてくれると思います。「神様は近くにいる」という体験を、味わわせてくださいます。神様の体験と、ほかの体験を比べるときに、神様の体験を選ぶ人になれるように、恵みを願っていくことにいたしましょう。