主日の福音2001,12,31/2002,1,1
神の母聖マリア(ルカ2:16-21)
母の心配りと懐の深さ

みなさん、おめでとうございます。朝から何か縁起のいい夢でも見たでしょうか?丙午の私ととしては、何か心改まるものを感じる朝でした。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

今日、神の母聖マリアをお祝いしています。「母」と言われて思い浮かぶのは、どんなときにも暖かく迎えてくださる、そんな姿です。泣いている子ども、嬉しいことがあって、話したくてたまらない子ども。いろんな子どもを暖かく迎えてくださる姿を、マリア様の中に見たいと思います。


その、暖かく子どもたちを迎える姿は、教会の姿でもあります。実は教会もまた、「母なる教会」と呼ばれることがあるのです。そうであれば、教会もまた、泣いている人、嬉しいことをみんなと分かち合いたい人が集い、暖かく迎えるところと言えるでしょう。


福音書の中で、羊飼いの訪問を受けたマリア様は、「出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」とあります。どんな子どもにも暖かい愛を注いでくださる母親は、また、その子どもたちのことを深く思いやり、その子の必要を思い巡らしてくださる方でもあります。


教会もまた、疲れた人、重荷を背負っている人、また、喜ぶ人、すべてを迎えて、彼らの必要を真剣に考え、思い巡らすのです。教会が「母なる教会」と呼ばれてきたのは、常に、母マリアに模範を仰いできたからであり、母マリアのお手本をこの世で証し続けたからに他なりません。


さて、私たちは、このマリア様と、マリアに模範を仰ぎながら今日まで歩んできた「母なる教会」の姿を見て、この一年の大きな指針を得たいと思います。特に女性のみなさんは、暖かく人を迎え入れ、喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣く、母の姿を鏡として、新たな一年を歩み始めましょう。


また、私たち太田尾小教区も、「母なる教会」の姿をもう一度思い起こして、太田尾・間瀬教会に所属する人々に、温かいもてなしを心がけることにいたしましょう。心の不安や悩みを抱えて教会に来づらくなっている人がいるかも知れません。何かのきっかけを得て、「私も教会のために何かしてみたい」と考えているかも知れません。

母が自分の子ども一人ひとりに気を配るように、「あの人はどうしているだろうか、この人は元気だろうか」と、いつでも喜んで迎える共同体でありたいものです。


母マリアの懐の深さを、この一年私たちも願いましょう。女性のみなさんは言うまでもなく、男性のみなさんも、どんな人にも大きく心を開き、懐の深い人となれるよう、恵みを願いましょう。そして教会共同体として、互いを受け入れ合う温かい教会として今年一年成長していくことができるように、ミサの中で続けて祈っていくことにいたしましょう。