主日の福音2001,12,30
聖家族(マタイ2:13-15,19-23)
聖家族は私たち家族に光を当てる

今週は、聖家族をお祝いしています。「家族」を黙想するにあたって、エジプトへの避難の箇所が選ばれました。この出来事を通して、家族のどのような面を学び取っていけばよいのでしょうか。

ヨセフは、エジプトへの避難と、故郷への帰還にあたって、夢で天使を通じて語られた神の言葉に忠実に振る舞いました。エジプトへ避難するときなどは、「起きて、夜のうちに」出発したとあります。危険が迫っていたこともあったでしょうが、ヨセフは主の言葉にどこまでも忠実でありたかったのでしょう。


ヨセフが、神様に忠実だったことはわかりました。マリア様はどうだったのでしょうか。マリア様の言葉は伝えられていませんが、マリアもきっと、ヨセフと同じく、神様の言葉に忠実でありたいと思っていたはずです。


「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」マリアにとってこの思いはいつまでも変わりませんでした。ヨセフの態度だけが目に付くように見えますが、マリアはヨセフの素早い行動に寛大に自分を合わせることで、神の言葉に忠実であろうとされたのでした。


イエス様についてはどうでしょうか。2歳、あるいは3歳のイエス様の模範をと言われても難しいかも知れませんが、イエス様は両親の心を写す鏡として、ご自分の役割を果たしておられたのではないでしょうか。


よく、「子は親を写す鏡」というようなことを言います。子どもを見れば、その家庭が今どんな様子なのかが見えてくると言ったりします。それほど、子どもというものは、親の期待が現れていたり、家庭での何気ない言葉や仕草をそのまままねするからでしょう。


追っ手の危険を逃れながらエジプトに避難するあいだ、両親は、どのような眼差しをイエス様に注いだのでしょうか。イエス様を抱きかかえながら、どんな会話を二人のあいだでなさったのでしょうか。


考えるに、マリアもヨセフも、周囲の危険や、二人の不安をいっさい感じさせないような、温かい眼差しを注がれたのではないでしょうか。小さいときにショックを受けた子どもは、あとで大きくなってから何かの形で反動が来るとも言います。「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」
(ルカ2:52)というルカの言葉からすると、どんな危険や苦労の中でも、温かい雰囲気を用意してくださったのではないでしょうか。

今日、聖家族の姿から、私たち自身の家族に必要な恵みを願いましょう。一家の家長である父親は、神の言葉を信じて忠実にとどまろうと努力しました。母親も、夫が神のみ旨に忠実であろうとする姿を見て、夫に従いました。子どもたちは、信仰に土台を置いた家庭の中で育つとき、両親を写すすばらしい鏡となり、すくすくと成長するのです。


私の家庭に、この聖家族の模範の中の、どの姿が必要なのでしょうか。「私たちには聖家族のこのような姿が必要ですから、どうぞ与えてください」と、具体的な形にして願ってみることにしましょう。「聖家族のようになれますように」ではなくて、聖家族のどの部分を見習いたいのか、はっきり形にしてから祈ることです。


もし、願い求めることをはっきりした形にできない方は、第一朗読、第二朗読をもう一度読み返されることをお勧めします。今日の朗読聖書はすべて、今日お祝いしている聖家族の祝日に合わせて、家族についてよく考えさせる箇所、夫婦についてよく考えさせる箇所が選ばれています。


これらの朗読を読み返すことで、「何を願うべきか」照らしをいただけるかも知れません。一人ひとりが、聖家族に倣う生き方を心がけ、のちには、自分たちの周りの家族にも影響を与える力も願いながら、ミサを続けていくことにいたしましょう。