主日の福音2001,12,25
主の降誕(早朝)(ルカ1:15-20)
くーらいよるーの羊番 ご苦労さんです羊飼い
今日の福音では、めずらしくイエス様が物語の中心にならずに、羊飼いが中心になっています。「さあ、ベツレヘムへ行こう」と語り合う羊飼いたちの心には、ただ見たいとか、めずらしいものに飛びつくという思いではなくて、自分たちも話には聞いていた、その救い主を「確かめたい」という気持ちがあったと思います。
羊飼いたちと、私たちのことを重ねながら考えましょう。今日こうしてミサに与っているのは、「イエス様が生まれたらしい」ということで見に来たのではなくて、きっと、昨日喜び迎えたイエス様が、今朝はどうしているだろうか、確かめに来たのだと思うのです。この雨降りの中に、物珍しさとか、興味だけで今朝のミサに来たというのは、とても考えられないことです。興味半分であれば、この寒い中に起きて出向いたりはしないでしょう。
マリアとヨセフ、そして幼子を確かめた羊飼いたちは、これは自分一人しまっておくべきことではないと思って、人々に知らせに行きます。人々に知らせる働きは、私たちにとって次のクリスマスまでの、一年間を通しての基本でありたいものです。
また、イエス様のお母様マリア様は、イエス様の誕生と、羊飼いが拝みに来たことを心に留めて、このイエス様に私はこれからどう接していけばいいのでしょうかと、深く思い巡らします。イエス様に私はどう接していったらいいのでしょうか。これまた、私たちが何よりも深く考えるべきことではないでしょうか。
最後に、羊飼いは「神をあがめ、賛美しながら」帰って行きます。それは、神をあがめ、賛美し続けて帰ったということです。神をあがめ、賛美し続けた。この羊飼いの態度は、私たちに日々の祈りに心を向けさせます。
まとめると、イエス様の誕生を喜び迎えたその次の日から(あとは省略)