主日の福音2001,12,16
主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
新しい住民登録

主の降誕おめでとうございます。待降節の期間を通して、「唯一の救い主」「来るべきお方」として待ち望んでいたイエス様が幼子の姿でおいでになりました。今日は、できるだけたくさんの人と喜びの挨拶を交わすことにいたしましょう。

朗読された福音書は、ルカによるイエス様誕生の物語です。イエス様は、当時の支配者が出した「住民登録の勅令」に基づいてマリアとヨセフがベツレヘムに滞在しているときにお生まれになりました。

そこから考えると、イエス様も人としては、権力者の命令に沿って、ベツレヘムで住民登録を受ける身分だったとも言えます。救い主としておいでになった方は、救われるはずの人間から数えられたのでした。

けれども、歴史の中では、イエス様の誕生は、新しい住民登録の始まりだったといえるでしょう。新しい始まりを予感させる出来事が、ルカには記されています。イエス様誕生の知らせを最初に受けた羊飼いたちです。彼らは、今でもそうですが、定住せずに、飼っている羊と一緒に移動して回ります。ですから、住民登録とは縁のない人たちと言っても良いでしょう。皆が権力者の勅令に従って住民登録に向かっている中で、この羊飼いたちが、イエス様誕生の知らせを最初に受けて、イエス様を拝みに来るのです。

イエス様を拝むことができた。羊飼いにとって、自分たちが新しい希望に招かれた証はこれでもう十分でした。権力者の命令で仕方なく登録するのではなくて、幼子イエス様を拝むことで、自分も新しい希望を心に持つことができた。それはそのまま、自分たちがイエス様に受け入れてもらった、イエス様の友として登録してもらったのと同じことだったのです。

神様の住民登録は、この世の住民登録とは違います。幼子イエス様を救い主と信じ、このイエス様に希望を置く人すべてが、登録してもらえるのです。その上さらに、信仰を言い表して、洗礼を受けるなら、永遠のいのちの書物に名を記されるのです。

今日ここに集まったみなさんは、イエス様の誕生に希望を置き、新たな一年を迎えようとこうして集まりました。ここに集ったということは、イエス様に自分の登録届けを更新に来たといってもいいでしょう。イエス様を通して、神の国の住民として、新たな一年を過ごすわけです。

イエス様がおいでくださったことで、私たちすべてが、「いのちの書」に登録される道が開かれました。今ここに眠っておられる幼子は、のちに水と霊によって洗礼を授け、私たちを神の子として登録してくださる方だからです。

今日は、二人の小学生が洗礼を受けて、その名を神のいのちの書に記すことになります。人としては、もうすでに国籍があり、住民票がありますが、今日、神の国の住民としても、登録されるのです。私たちも自分の洗礼を思い起こしながら、二人の上に特に恵みを願うことにいたしましょう。