主日の福音2001,12,16
待降節第三主日(マタイ11:2-11)
さらに深く、さらに強く主を待つ
今日の福音は、イエス様を待っている私たちの心を、もう一度強めようとしています。先週は、洗礼者ヨハネの呼びかけに応えてイエス様を待つ心を準備しました。ところが、その洗礼者ヨハネも、「来るべき方がイエス様かどうか」不安になっています。ですから、もう一度、イエス様を待ち望む心を強める必要があるわけです。
先週の福音書を少し思い出しましょう。洗礼者ヨハネは、「救い主を待ち望みなさい」とはっきり言っていました。そして、洗礼者ヨハネは、「力強い救い主」を人々に紹介しました。
イエス様は洗礼者ヨハネの弟子たちに、「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」と言いました。洗礼者ヨハネが考えていた「強い人」の姿と少し違っていたのです。
洗礼者ヨハネは、牢の中で、イエス様のなさったことを聞きました。自分が思っていたとおりの話を聞くことができたら、不安にならなかったと思います。弟子たちを送って確かめることもしなかったと思います。けれども、イエス様についての話は、自分が考えていた救い主の姿とは違っていたのです。
こんな時、どうすればいいのでしょうか。私が思っていたことと、違う話が聞こえてくる。私が思っていたとおりに出来事が進んでいない。こんなことは、あなたの生活にも起こることだと思います。ですから、よく考えてみましょう。
答えは簡単です。イエス様に自分を合わせる。これが正しい態度です。救い主が、「力強い人」と思っていたのに、「柔和な人、あわれみ深い人」だった。私の考えと違っています。その時は、考えをイエス様に合わせましょう。
同じことを、生活の中でも実行しましょう。私の頭の中で、「出来事がこうなってほしい」と思っていました。けれども、結果は違っていました。神様に、「私が願っていた結果と違います」と言うのではなくて、「神様、あなたが望む結果に合わせます」と、落ち着いて考えることです。
生活の中では、いろいろ、私が考えていた結果と違うことがあります。会社の中で、家族の中で、他にも、教会の中でも私が考えていたことと違う結果を体験することがあります。たとえば、神父様の態度が、私の期待していた態度と違った。けれども、結果が違っていたのを、おこったり、不満に思ったりしない方がいいと思います。
こんな時は、神様が私たちを訓練していると考えましょう。あなたが期待していること、予想している結果よりも、神様が示す結果の方が正しいのです。予想と違う結果を受け入れるのは大変つらいことですが、それは、もっと深く、もっと強く、神様を信じるためなのです。
クリスマスが近づきました。神様は今週、私たちに次のことを求めます。あなたの心の中に不安が起こったら、幼子としておいでになるイエス様を、もっと深く信じなさい。もっと強く信じて、信仰を育てなさいと、神様は私たちに教えているのです。
洗礼者ヨハネも、不安になりました。彼は、自分の考えと、実際のイエス様の姿が違ったとき、イエス様に合わせました。私たちも、今週一週間、もっと神様が示してくださる答えに自分を合わせていくことができるように、信仰の恵みを願いましょう。