主日の福音2001,9,23
年間第二十五主日(Lk 16:1-13)
一瞬の輝きでなく

持っていない人が腕組みをして、フムフムと思案してもしょうがないのですが、ニューヨークの事件で株価が急落する様子を見ていて、まあ株というものは、何とあっけなく下がってしまうものだろうかと、驚いてしまいます。

ニュースを聞き流しただけで、確かな数字を覚えていませんが、テロが起こった後に株式が再開して、四日間でニューヨークの株価は
16パーセント下がり、資産価値はおよそ160兆円失われたのだそうです。気の遠くなるような数字です。

今日の福音朗読の中で、イエス様は不正な管理人のたとえを話ながら、この世の富について、賢く利用しなさいと仰います。もちろん、賢くと言うのは、「神様の前で」賢いと褒められるような使い方をしなさいということです。


「不正にまみれた富で友達を作りなさい」。イエス様が例として示された、「神様の前に賢い」使い方です。富を増やすとか、富を守ることに重きを置くよりも、手に入れた富で、友情とか、絆とか、信頼を築くことに心を向けるようにと仰います。人との豊かな出会い、かけがえのない人との絆に役立てることで、富は神様の前に賢く使っていることになるのです。この世のものを眺める「見方」について、貴重な勧めではないでしょうか。


あらためて考えてみると、やはりこの世で長く続くものは、人と人との出会いを通して築き上げられたものだと思います。「不正にまみれた富」と言われている、さまざまな資産・財産は、一瞬で消えてなくなるのです。今回のニューヨークの出来事は、そのことを実感いたしました。証券取引所が再開して
10分で、財産が紙屑になってしまった人もいるのではないでしょうか。

もちろん、イエス様はこの世の財産の使い道を熱心に説くことで終わったりしません。ここから、もっと価値の高い物、長く続くといった、時間にも縛られない、また、一瞬の輝きでもない尊い宝に目を向けさせようとします。


たとえ話の中で、「永遠のすまいに迎え入れてもらえる」とか、「本当に価値あるもの」に触れていますが、これは、イエス様が、最後には私たちをこうした「永遠のもの」に目を向けるようにと促している証です。


一瞬のものは、確かに何でも美しくて、輝いています。最近は、運動会真っ盛りですが、運動会のあらゆる場面に、一瞬の輝きがちりばめられています。まあそれを映像に収めて、長く保存することも可能でしょう。けれども、たとえ映像に収めても、当の本人は成長していくし、それを後生大事にしまっていても、昔を懐かしむことぐらいにしか役に立たないのです。


そこでイエス様は、この世で、いくらかでも長く続くもの、つまり人と人との絆を思い出させて、一瞬の輝きではなく、永遠に続く輝きを失わないようにと私たちに注意を呼び覚ましてくださっているということです。


そうは言っても、「この世はこの世、来世とは別物でしょう」と考える人も、少なからずいらっしゃるかも知れません。いくら来世でお金がいらないといっても、この世では必要ですよと、しみじみ感じている人もいらっしゃるかも知れない。


イエス様はそんな私たちに、最後でこう呼びかけています。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」
(v13)。私たちがしっかり見つめておくべきものは、一瞬のものではありません。永遠の輝きを見据えて、生活を組み立てて行くべきです。この世のもの、一瞬の輝きは、むしろ、この永遠の輝きに従わせる。この世の宝は、人と人との絆を結ぶために、永遠の命を得るために利用するのです。

神に褒められる生き方に、一瞬の輝きはないかも知れません。けれども、永遠の、深みのある輝きを、神様はその人に与えてくださるのではないでしょうか。私は、一瞬のものばかりを追いかけていなかったか、一瞬のものに囲まれて生きてきたのではないか、振り返りながら、今週一週間を新たな気持ちで歩んでいきましょう。