主日の福音2001,7,29
年間第十七主日(Lk 11:1-13)
与えられる・見つかる・開かれる

今日の福音で、イエス様は、「求めなさい。そうすれば、与えられる」と仰いました。けれども、皆さんの中には、「必ず与えられるのかなあ」と思っている方もいると思います。

わたしが今働いている太田尾教会の中の間瀬教会で、今日の聖書の箇所を使って地区集会のお勉強をしました。「皆さんは、必ず与えられると思いますか?」と尋ねたら、ある人は、「必ず与えられる」ある人は、「ほとんど与えられる」ある人は、「願ったとおりでないときもあります。けれども、与えられます」など、いろいろな体験を話してくれました。


願いの祈りをしている人は、「与えられる」と信じていると思います。そして多くの人が、神様に与えられたという体験を持っているので、心から、熱心に求めるのです。


ここまでは、あまり難しくないのですが、ここからは少し考える必要があります。神様は、求める人に与えてくださいますが、「何を」与えてくださるのでしょうか?そして、私たちは、願うときに、神様が与えてくださるものを願っているのでしょうか?


皆さんはきっと、苦しいときに何かを求めると思います。心の平安、体の健康、苦しみを取り除いてもらうこと、困難を乗り越える力などです。聖書を読むと、イエス様は罪を犯した女性に「安心しなさい」と言ったり、ずっと寝たきりの人に「起きあがりなさい」と言って治してくれたり、弟子たちに、「どんな力も対抗できない知恵と勇気を」与えて下さったりしています。ですから、イエス様は願い求める人に、必要なものを必ず与えて下さったことが分かります。


ところで、今の時代に、私たちの願ったことは、与えられているでしょうか?健康を願ったことがあるでしょう。心の平安を願ったことがあるでしょう。願ったことが、与えられましたか?


聖書の中の、イエス様の働きを、もっと短くまとめてみましょう。イエス様は何を与えてくださったのでしょうか?イエス様は、ご自分を与えてくださったと思います。一つひとつ、あれを与えてくださった、これを与えてくださったと並べて考えるのではなくて、もう少しよく考えたら、イエス様は、いろいろな形で、ご自分を与えてくれていたのではないでしょうか?


そこで、私がいちばん言いたいことをまとめたいと思います。イエス様は、求めなさい、探しなさい、門をたたきなさいと仰いました。求めたら、何を与えてくださるのでしょうか?求めたら、イエス様ご自身を与えてくださるのだと思います。いろいろな形、その人にいちばん役に立つ形で、イエス様はご自分を与えてくださるのです。


では、私たちが願い求める時も、本当はイエス様を願い求めることがいちばんいいのではないでしょうか?願い求めたいものが、いろいろあります。その中で、いつも、最初に、イエス様を願い求めて欲しいのです。


私たちは、いろんな時に願い求めると思います。喜びの中で、悲しみの中で、苦しみの中で、いろいろあるでしょう。その時に、いちばん最初に、イエス様ご自身を願い求めましょう。イエス様を願い求める人は、必ずイエス様がご自分を与えて下さいます。喜んでいるとき、悲しんでいるとき、どんなときにもイエス様はご自分を与えて下さいます。


私たちは、願い求める物がたくさんあるので、「イエス様ご自身を願い求める」ことは、最後に願うかも知れません。けれども、いちばん最初に与えられるのは、「イエス様ご自身」だと思います。早く、イエス様ご自身をいちばん最初に願う人に変わっていけるように、ミサの中で恵みを願いましょう。