主日の福音2001,7,8
年間第十四主日(Lk10:1-12,17-20)
行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす

朗読された福音で、イエス様は七十二人を選んで、先にお遣わしになりました。今日は、イエス様に送られていく弟子の気持ちになって味わってみたいと思います。初めに、弟子たちの気持ちを探るいくつかのポイントを紹介しておきます。

イエス様は、送り出すに当たって、「それは、狼の群に子羊を送り込むようなものだ」と仰います。どんなに腹の据わった人でも、こんなことを言われると不安になるのではないでしょうか。ましてや初めて出かけていくのですから、弟子たちの不安は想像に難くありません。


「財布も袋も履き物も持って行くな」これは、自分たちを送り出したイエス様に、全幅の信頼をおいて行けということですから、できるできないは別としても、弟子たちの気持ちを引き締めると思います。


「途中で誰にも挨拶をするな」弟子たちは先を急ぐのだから、途中で油を売っている暇はないということですが、行った先で上手くやって行けるだろうか、自分は受け入れてもらえるだろうか、周囲の人に心配を話すことで、余計に不安にならないための配慮だったかも知れません。


私は振り返って、自分の体験を重ね合わせてみるのですが、初めての赴任地に出かけるときに、ちょうど今日の弟子たちと同じ経験をしました。それを分かち合うことで、皆さんにも今日の福音を味わっていただくきっかけになるかも知れません。


初めての赴任地は、浦上教会だったわけですが、その日まで私は、あちこちの教会に初ミサに出かけたあと、最終的には鯛ノ浦教会で待機していました。フェリーで奈良尾港から長崎港に向かうわけですが、フェリーに乗っている二時間半、私はいろんな思いで心が揺れたのを覚えています。


長崎でいちばん大きな教会に飛び込むわけですから、「こわいなあ」という気持ちは当然あります。また、どんな人たちがいるんだろうか、自分はやっていけるのだろうか、お役に立てないのではないか、そんな心配がいくつも湧いてきて、客室で座っていても横になっても、ちっとも落ち着きませんでした。誰かに話しかけるなどということは、私は思いつきませんでしたね。


こんな不安の中で、私は面白いことを一つ思いついて、取り組んでいました。これからお世話になる主任神父様は、聞けば俳句の先生だという話です。その当時、「よきおとずれ」には俳句の欄が最終ページにありまして、当時の主任神父様が担当しておられました。私は素直に今の気持ちを書いて、「挨拶代わりに」ポストに投げ込んでいたんですね。


幸いに、これが主任神父様の目に叶いまして、俳句の先生に直してもらったものが教報に載りました。こんな俳句です。「船揺るる四月末日初赴任」。私がハガキで出したものは、こんなに立派ではなかったのですが、これが最初で最後の一句となりました。もう一回読んでみましょうか?「船揺るる四月末日初赴任」。弟子たちの心を想像すると、やはり初めて出かける不安は、同じようなものではなかっただろうかと、考えるわけです。


ところで、弟子たちの派遣は、会社に就職する場合と違っているところがあります。それは、「はっきりした使命を持って飛び込んでいく」ということです。それは、出かけた先でキリストの平和を願い、神の国がやってきたことを、言葉でも態度でも、つまり生活全体で表すということです。この一点に、弟子たちの働きは集中します。


成功するかどうかではありません。気に入られるかどうかではありません。その土地にキリストの平和がみなぎるように、言わないといけないことを言い、取り組まないといけないことを取り組む。それが遣わされた弟子たちに求められていることでした。


まずは私自身、よく反省したいと思います。神の国がここまでやって来ましたよ、神様はここにも来てくださって、救いを知らせておられますよ。そう触れ回るために、わたしは自分を向けているだろうか。反省ばかりのような気もします。


もちろん、引き締めたりリラックスしたりもします。けれどもそれが、全体として「神の国がここまで来ているんだなあ」と、皆さんに伝わるものとなるように、気をつけるということです。どうも、休みが本業に結びついているか、疑わしいところもあります。


黙想会を終えて、皆さんとまたこうして信仰生活の歩みを共にすることができております。聞いて学んだことをこれからの糧にして、互いに、神の国を言い広めるものとなれるように、これからも精進したいものです。