主日の福音2001,4,22
復活節第二主日(Jn 20:19-31)
信じてもらうために、書いた

復活節の第二週は、決まって今日の箇所「イエス様とトマスの話」を選んで読みます。洗礼名にトマスをもらっている方は、今日のお話をあとでゆっくり読むといいと思います。

今日は朗読した箇所の最後の言葉について考えてみましょう。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(20:31)。ヨハネ福音書が書かれたのは、この書物からイエス様を信じ、救われるためだというのです。

この言葉は大切だと思います。私たちは、イエス様をこの目で見たり、イエス様の声をこの耳で聞いたりすることができません。聖書、特に、イエス様のことを書いた「福音書」が、私たちにとってイエス様と出会う場所なのです。

少し、説明をします。イエス様はすぐに怒る人だったでしょうか?忍耐する人、許す人だったでしょうか?もし、この目でイエス様を見ることができたら、簡単に分かるでしょう。でも、この目で見ることはできないけれど、聖書を読むと、イエス様は忍耐して弟子たちを育て、忍耐強くファリサイ派の人々に教え、罪を犯した人を許しています。自分でイエス様を見ることはできませんが、福音書を読むなら、イエス様が忍耐強い人、許す人だったと分かります。

特に、イエス様は弟子たちを愛しました。弟子たちは、イエス様を捨てて逃げたのに、イエス様は許して、愛してくれました。イエス様が十字架に磔になったとき、多分10人は逃げました。でも、復活したイエス様は弟子たちを捨てませんでした。

イエス様が亡くなったとき、イエス様を墓に入れたのは、十二人の弟子たちだったでしょうか?違います。弟子たちは、イエス様を墓に入れる仕事をしないで、逃げたのです。アリマタヤのヨセフと、ニコデモが、イエス様を墓に入れたのです。けれども、復活したイエス様は、ニコデモたちに現れたのではなくて、弟子たちに現れました。そして、弟子たちを怒るために現れたのではなくて、平和を与えるために現れたのです。

私たちは、福音書を読むとき、イエス様のことをくわしく知ることができます。イエス様に会わなくても、イエス様の声を聞かなくても、イエス様を信じることができます。そして、聖書の中のイエス様を読むとき、「このイエス様だったら、私のことも愛してくれる。このイエス様は、同じ罪を犯す私を許してくれる」と信じることができるのです。

ひとつの例を紹介します。私は、お説教を考えるときに、いつも参考にしている資料があります。それは一人の神父様がずっと作っている資料ですが、私は、この神父様を信頼しています。毎回、何か助けをもらいます。助けをもらえないときでも、私はその神父様の作った資料を信頼できます。それは、その神父様が書いたほかのいくつかの本を読んだときに、「この神父様は信頼できる」と思ったからです。

実は、私は、この神父様と会ったことがありません。本当は、顔を見て、話をしたいのですが、この神父様は東京にいて、私は会うことができません。でも、会うことができなくても、信頼することはできます。離れていても、時代が違っていても、信じたり、信頼したりすることは十分にできると思います。

イエス様も、私は信じることができます。見たことありません。会ったことありません。けれども、イエス様は福音書の中で、イエス様を捨てて逃げた弟子たちに、復活したあと深い愛を示しました。私も、イエス様を信じたいと思います。私が罪を犯したとき、イエス様が深い愛を示して、許してくださる。私が疲れたり、迷ったり、逃げたいと思うとき、イエス様は心配してくださる。場所も、時代も離れていますが、私はイエス様をしっかりと信じています。

お説教の始めに紹介した言葉を、繰り返します。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(20:31)。弟子たちは、イエス様を捨てて逃げました。トマスは、復活したイエス様をすぐに信じることができませんでした。でも、イエス様は弟子たちを愛し続けてくださいました。

私たちも、すぐにイエス様を信じることができないことがあります。奇跡のこととか、復活のこととか、すぐには信じることは難しいと思います。けれども、イエス様は待ってくださいます。深い愛によって、私たちを見てくださいます。ほかにも、忙しいときに、教会から逃げたいときもあると思います。本当に、1年とか、5年とか、教会から逃げることもあるかも知れません。でも、イエス様は愛し続けてくださいます。このイエス様に、今日は感謝しましょう。

わたしたちの時代にも、イエス様を信じることはできると思います。この福音書からイエス様を信じることができるように、父である神様に祈りましょう。そして、この福音書を毎週読むことができるミサに積極的にあずかって、深くイエス様を信じる力を、願いましょう。