主日の福音2001,3,04
四旬節第一主日(Lk 4:21-30)
ただ主にのみ仕えよ

今日の福音はイエス様が誘惑に遭われる場面を選んでおります。この場面はマタイ福音書にも取り上げられているのですが、悪魔が誘惑をするところでちょっと並べ方が違っています。マタイ福音書ではまず空腹を覚えたイエス様に、次いで聖なる都エルサレムにの神殿に連れて行って飛び降りてみよと言い、最後に権力と反映をちらつかせました。

ルカは、「空腹」のあと、「権力を反映」をちらつかせ、最後に「聖なる都エルサレムの神殿から飛び降りる」ようにとそそのかします。別にたいしたことないと感じるかも知れませんが、エルサレム神殿での誘惑を最後に持っていったのは、ルカが持っている信念(神学)が表れているのだとも言われています。

ルカは、エルサレムへ旅をし続け、エルサレムで旅を完成するイエス、つまり、エルサレムでの救いの業を完成させるまで、この世を旅し続けるイエス様を描きたいという信念(神学)があって、それに沿った並べ方なのでしょう。

そうすると、並べ方一つで、隠された意味も表れてきます。イエス様はエルサレムで最後に救いの業を完成されます。それは、イエス様の最後の勝利の姿です。とすると、今日、エルサレム神殿での誘惑に打ち勝たれたのは、イエス様にとっての最初の勝利ということを表しているかも知れません。最初の勝利に始まって、死と復活という最後の勝利で完結するイエス様の業が、実はここから始まっているのではないでしょうか。

このように、最後のエルサレムでの場面と、今日の最初のエルサレムでの場面が結びついているとすれば、もっと他のことも結びついていることが予想されます。

イエス様は悪魔の誘惑に決して過剰反応しません。「この石にパンになるように命じたらどうだ」という誘いに、「うるさい、お前に言われなくても石をパンに変えることくらい簡単にできる」などとは言いませんでした。権力と繁栄をちらつかせても、神殿から飛び降りても神様は守ってくださるはずだろうと言われても、要するに何を言われても過剰な反応をしなかったのです。

こうした態度は、最後のエルサレムでの場面と、実によく重なります。イエス様は十字架にはりつけになったとき、「神の子なら、この十字架から降りたらどうだ?」と、さかんに言われたのです。兵士も言いました。傍らではりつけにされている罪人も言いました。けれども、あの場面でもイエス様は過剰な反応をしなかったのです。

どちらとも、できなかったのでしょうか。石をパンにできなくて、失敗するのが恐くて、奇跡を行わなかったのでしょうか。十字架から降りようとして、うまく降りることができなかったらどうしよう?と思っていたのでしょうか。まさか、そんなことはあり得ません。悪魔の誘いに引っかからないから、神様なのです。地上の王様を期待している群衆の口車に乗らないで、すべての人の罪を背負って死んで行くから、神様なのです。ここを見誤らないようにしましょう。

今日のイエス様の姿をひとことでまとめると、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」ということになります。この、「ただ」というのが大事なんだと思います。最近とりつかれたように3回繰り返していますが、福音朗読の終わりに、ここを3回繰り返しましたね。いろんな欲が出る。それに惑わされないで、「ただ主に仕える」このことに専念しなさいと言うことでしょう。

欲が出ます。今私は、黙想会の原稿がようやくあがったところなんですが、「ただ主に仕える」ということであれば、良くできたかどうかには、あまり囚われないほうがいいはずです。ところが、やっぱり欲が出る。あれも話したい、これも話したいというのも欲でしょうし、もしかしたらどこかで「あー分かりやすかった、あーためになった」と言われたいという欲が働いているかも知れません。心の中で悪魔は巧みに働きを強めているんだと思います。こうした欲に振り回されずに、「ただ主に仕える」。一見やさしいようで、実は難しいことなのです。

みなさんの生活の中にも、「ただ主に仕えよ」という呼びかけを響かせてください。朝晩の祈り、食前食後の祈り。お告げの祈りとか、折々のロザリオの祈りなど。毎日毎日、祈りは必要なんだろうか?とか、お祈りしたけれども、これまで一回でも石がパンに変わったことがあっただろうか、権力や繁栄にあずかったことがあっただろうか、悪魔が私にひれ伏したことがあっただろうかなどと、怪しむ必要はありません。「ただ主に仕えよ」というのが、今日のイエス様の体を張ったメッセージなのです。


イエス様は十字架の上でさえも、「ひとつ十字架から降りて、あっと言わせてやろう」とはお思いになりませんでした。「ただ主に仕える」ことだけを念じていたのです。私の生活の中で、どこに今日のメッセージを取り入れたらよいか、聖霊の照らしを願いながら、その答えを求めていくことにいたしましょう。