主日の福音2001,1,7
主の公現(Mt 2:1-12)
幼子を礼拝し、別の道で帰った
今日の日曜日は、「主の公現」のお祝い日です。東の国からやって来た占星術の学者(つまり異邦の人々ですが)たちの礼拝を受けることで、イエス様がすべての国民、すべての民族の前に現れたことを記念するものです。
せっかくですから、占星術の学者について、ちょっとだけ勉強しておきましょう。この占星術の学者にあたるギリシャ語の「マゴス」(複数形「マゴイ」)は多様な意味を持っていて、ゾロアスター教の秘儀を司る者とか、天文についての知識を持ち、星占いを行う者とか、魔術師を表す言葉でした。新約聖書では6回使われており、新共同訳は「占星術の学者(マタイ3:1,7,16)、「学者」(マタイ2:16)、「魔術師」(使徒13:6,8)と訳しています。
後世のキリスト教伝承や美術の中で、この人たちの姿は一層拡大されてゆきました。まずこの人たちは王であったとされますが、それはイザヤ60章とか詩編72:10「シェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように」(答唱詩編を参照)からの影響です。
また彼らは三人であったとされますが、これは幼子に差し出した贈り物が三つ(黄金・乳香・没薬)だったからです。最後には彼らに名前まで付けられることになります。西方教会では、その名はカスパー、バルタザル、メルキオルとされ、カスパーは黒人とされ、人種の違う異邦人世界の代表者としてキリストのもとに来て礼拝した人と理解されました。
このような増幅が行われたことに示されるように、今週の福音の物語はヨーロッパ世界で大事にされてきました。(真生会館聖書センター発行「アイン」1月7日号11頁より)
さて、この占星術の学者たちは、星に導かれてイエスのもとにたどり着き、幼子を礼拝しました。また、幼子を礼拝したあとは、まことの光、まことの星であるイエス様を心に抱いたまま、ヘロデのもとへは立ち寄らず、別の道を通って自分たちの国へ帰って行きました。
ここには二つの動きがあると思います。一つは、星に導かれて、イエス様のところまで導かれ、ついに幼子に出会ったということと、もう一つは、まことの光を心に受けてからは、現世の王にあいさつを忘れて帰る失礼も顧みず、まっすぐに自分の国に帰ったということです。
私たちはこの占星術の学者たちから、ひとつの教訓を学ぶ必要があると思います。それは、イエス様が私たちの中にともしてくださる光は、たとえ時間や場所が遠く離れていても、その人を捉えて離さないのであって、できるだけ早く、イエス様のともしてくださった光に正直に生きるようにすべきだということです。
私は木曜日から土曜日の朝まで、郷里に帰っていたのですが、子連れの親子が、ぼつぼつミサに来ているのを見て、何かが違う、と思いました。それは、眠い目をこすって与る子供たちに、ミサのありがたみも何もあったものではないでしょうが、けれどもイエス様のともす光は、こうして子供たちの心にしっかりと留まり、やがてその子を生涯にわたって導いてくださるのではないでしょうか。
子供の頃の思い出を懐かしむのは、世代が変わろうが、世の中が急激に変化しようが、人間が変わらないとすれば、変わるはずがありません。自分も小さい頃には、よく親に連れられて教会に行ったものだ、そう昔を懐かしむとき、果たして「小さい頃には、日曜日にミサに連れられていったものだ」と思い出すのでしょうか?
少なくとも私は違います。日曜日は親に連れられていったのではなくて、自分で勝手に行っていました。連れられていったのは、朝早く、まだ夜も明けきらないときに、平日のミサに連れられていったのです。皆さんも、そうではないのでしょうか?
一刻も早く、その貴重な思い出に、体験に、素直になって欲しいのです。子供たちに伝えるべきは、日曜日に教会に行った思い出ではなくて、平日のミサに連れていかれた思い出です。もはや冬休みも終わりですが、これから、休みの日とか、あるいは次の春休みとかに、家族で平日のミサに行く、静かな、ひっそりとしたミサの雰囲気をたくさん学ばせる、そういう工夫をしていただきたいと思います。
もう一つは、占星術の学者たちは、失礼をも顧みず、イエス様を礼拝したあとは、別の道を通って国に帰ってしまいます。ヘロデは、イエス様の光を心に持っていない、口では「私も拝もう」と言うけれども、これからもイエス様の光を持つつもりのない人物です。そんな人に社交上の礼を尽くすことは、占星術の学者たちにとってもはや無意味になっていました。
私たちも、イエス様の光を持った上に、その光が曇るようなことに無用な労力を払うことは避けたいものです。似たような人は心が引かれ合うもので、イエス様の光を心に保つ人同士は、場所や年齢、育った環境が離れていても、イエス様に導かれて心を通わせることができるものです。
占星術の学者たちに現れたイエス様をしっかりと心に保ち、これからの時代に、私たち一人ひとりが、それぞれの場所にイエス様を伝える者となることができるように、占星術の学者たちの帰り道の心境などを思い浮かべながら、ミサを続けておささげしてまいりましょう。