主日の福音 2000,12,24
待降節第四主日(Lk 1:39-45)
エリザベトは聖霊に満たされた
今日の福音で、マリアの挨拶を受けたエリザベトに目を注いでみましょう。「エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った」とあります。イエス様の誕生を直前にして、すでに聖霊はご自分の働きをお示しになり、ここではエリザベトの心を満たし、マリア様を高らかにたたえたのでした。
私たちは、約四週間のあいだ、イエス様の誕生を待ち望んで、心と体の両面で準備をしてまいりました。馬小屋の飾り付けも済みました。赦しの秘跡を受けた方もいらっしゃるでしょう。子供たちはクリスマス会に向けて学校のお友だちを招待して、イエス様を多くの人に知らせる機会を作りました。また馬小屋におささげする献金も準備していることと思います。
こうして、着々と準備し、いよいよ、「今日・明日」というところまでやって来ました。残る僅かな時間を、どのように待てばよいのでしょうか。エリザベトがそれを教えてくださいます。彼女は、わが子の誕生のその日を待ちながら、心を神に向けていたのです。
まず、ひとつのたとえで私たちの経験を生かしていくことにいたしましょう。たくさんの練習を積んだ試合とか、発表会の本番になると、人は誰でも緊張するものです。本来の力を発揮するために、私たちは何とかして、余計な緊張を取り除こうとします。ある人は音楽を聴いたり、ある人は直前まで自分の積み上げた練習を繰り返したりします。いずれにしても、余計な力を抜き、いつも通りに自分の心を持っていけるかが鍵です。
私は、大きな試験の前に、同じようなことを感じました。一生懸命頭に入れたことを、果たしてきちんとまとめて答案用紙に書くことができるだろうか?考えれば考えるほど、汗が滲み、うまくいきません。そんな中で、私なりに身につけたことは、「よーし、書くぞー!」という気持ちを、試験開始時間までいっぱいに満たすということでした。
じっと目を閉じ、心の中で、「私が勉強したところがちゃんと出る。自分が書きたい!と思うまで、私の心に書きたい気持ちをいっぱいに満たしていこう!」そんなことを念じたものです。これは、言葉を換えると、聖霊で満たしてもらって、聖霊の助けで「答案用紙を書かせていただく」ということです。
聖書に戻りましょう。エリザベトにとって、わが子である洗礼者ヨハネが生まれるその日は、自分たち夫婦の喜びの日であると同時に、いやそれ以上に、神に感謝を捧げる日として、指折り数えていたのではないでしょうか。
人は、心の中にあるものが現れると言います。エリザベトは、聖霊に満たされたとき、何を語ったのでしょうか。それは、祝福と賛美、神への感謝ではなかったでしょうか。聖霊に満たされたエリザベトは、自分の心の中にあるものをすべて、あますところなく現したのです。
私たちも、これまでいろいろな方法で、イエス様の誕生に向けて準備をしてまいりました。すべての備えが、きっと心のこもった、素晴らしい準備だと思います。あとは、心の中で温めてきたその思いを、聖霊で満たしていただき、おもてに現していただきたいのです。
エリザベトが聖霊に満たされて、心の中をすべてうち明けたように、私たちもあとしばらくの時間を、聖霊で満たしていただき、溢れ出るようにしていただくことにいたしましょう。聖霊よ、私の心をいっぱいに満たしてください。そうすれば、私は、あなたの助けによって、心の中にあるものを溢れさせることができるでしょう。心の中の喜びを、感謝と賛美の形でじゅうぶんに現すことができるように、どうか私の心を満たしてくださいと、イブのミサまでのしばらくの時間、繰り返し繰り返し願っていくことにいたしましょう。