主日の福音2000,06,25
キリストの聖体(Mk14:12-16,22-26)
私たちが人間らしく生きるために、聖体はある

今日は、キリストの聖体の祝日ですね。イエス様が残してくださった、聖体の意味を、私たちの生活と結びつけて考えてみましょう。

働くこと、食べること、眠ること。この三つは、私たちにとって基本的なものです。人間のいちばん深いところにあります。取り除くことはできません。三つのうちどれか一つを取り除くと、私たちは普通の生活(人間らしい生活)をすることができなくなります。三つのうちどれか一つを取り除こうと考えるだけでも、その人は生きることをやめることになります。

ここまでは分かるでしょうか。わかる?それは良かった。では、少し話しを先に進めます。働くこと、食べること、眠ることは大切だから、本当は、もう少し感謝していいと思います。今働くことができる。今、普通に食べることができる(ごちそうではないかも知れないけれど)。今、ゆっくり休むことができる。本当に感謝しているでしょうか。当たり前と思っていませんか?

今日、私たちは、御聖体をお祝いしています。日曜日だから、普通に教会に来たかも知れません。「聖書と典礼」に、「キリストの聖体」と書いてある。ただそれだけ感じたかも知れません。けれども、イエス様が聖体の中にいてくださることは、最初に話した、「働くこと」「食べること」「眠ること」とつながっています。特に、「食べること」とつながっています。

本当に、「食べること」とつながっているなら、御聖体は私たちにとって基本的なものです。人間のいちばん深いところにあります。そして、取り除くことはできません。でしょ?

そして、御聖体をいただくことをやめるひとは、生きることをやめようと考えているのと同じことになります。「これからは食べません」と言っているのと同じことなんです。

私たちが毎日している基本的なことと、御聖体を結びつけました。ここまでは分かりますか?わかる?あー良かった。もう少し話しを先に進めましょう。

私たちは、御聖体を十分に感謝しているでしょうか。イエス様が、小さいパンの中にいてくださることを、喜んでいるでしょうか。もっと、感謝して、礼拝していいと思います。イエス様は、私たちの生活の中で取り除くことのできない「食べ物」になってくださいました。イエス様は、御聖体の中から、私たちに呼びかけています。「私につながっていなさい。私とつながっているとき、あなたは本当に生きています」。

本当に生きるために、イエス様をいただきましょう。本当に生きるために、食べ物になってくださったイエス様を感謝し、礼拝しましょう。

生きることを捨ててはいけません。生きることをやめてはいけません。今日、聖体をたたえて、「私は本当に生きる人になります」と、みんなの前で、社会の中で証する人になれるように、ミサの中で恵みを願っていきましょう。