福音説教 2000,04,23
復活の主日(日中)(Mk 16:1-7)
弟子は、空の墓を、見て、信じた 
 みなさん主の御復活、おめでとうございます。今日、この喜びのときに私の心に上った聖書の言葉は、ヨハネ福音書の「光は闇の中で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった」(Jn 1:5)という箇所です。今年はこの言葉から、復活したキリストを探し求めたいと思います。

 今日読まれた福音書の中で、三人登場人物が現れますが、三人とも共通して、「空の墓」を発見しました。ですが、空の墓を見て理解したことはそれぞれ違っていました。マグダラのマリアは驚き慌て、ペトロは不思議に思い、もう一人の弟子と書かれているヨハネは「見て、信じた」のです。

 墓は、死者を埋葬する場所ですから、ここでは、人間のいちばん深い暗闇、逃げようと思っても逃げられない場所を表しています。マグダラのマリアは、イエス様がいつまでもこの暗闇を意味する墓にいるものだと思っていたのでしょう。空の墓を発見して、イエス様の遺体が盗まれたと思ったのですが、もともと「闇」に打ち勝ったイエス様が、暗闇を意味する「墓」にいつまでもとどまるはずがないのです。

 ペトロともう一人の弟子が、連絡を受けてすぐに墓に駆けつけ、ペトロも「空の墓」をのぞきました。やはりペトロも、復活したイエス様を、死者を葬る場所、人間の暗闇の場所に探そうとしたのでした。

 ヨハネだけが、出来事からその深い意味を理解しました。イエス様は復活し、人間のいちばん深い闇である「死」に打ち勝たれた。「死の闇」の象徴であった墓を、イエス様は過ぎ越して、光として今この世におられる。そう信じたのです。イエス様は、世の光、真理の光ですから、暗闇に支配されはしなかったのです。復活して、闇を打ち砕いてくださったのです。

 今日の復活の喜びを味わう鍵も、実はここにあります。闇は光にうち勝てない、つまり、どんな闇であれ、またその闇がどれほど深い闇であっても、光であるキリストの勝利を脅かすことはできない。だから、私たちはキリストの復活を喜びをもって迎えるのです。

 いまは、社会全体が、暗い闇におおわれている時代かも知れません。ですが、キリストの復活はこうした社会に対して、光り輝くのです。人間関係や、家庭問題や、学校での友達関係、いろんなところで暗闇を感じるかも知れません。そんな人にとっても、今日復活したキリストは、光となって私たちを照らしてくださるのです。

 今年の復活祭は、私は二つの意味ですばらしい復活祭だと思います。一つは、大聖年の年の復活祭ということです。この小教区、この教会で私は復活祭を祝えたことを、本当に誇りに思っています。

 もう一つは、ここに集まっておられるみなさんのうち50名近くが、「聖書通読リレー」に参加してくださって、今日の復活祭を迎えられたということです。昨晩の徹夜祭では、旧約聖書が三箇所、使徒パウロの書簡が一箇所、福音書から一箇所が朗読されたのですが、「聖書通読リレー」に参加された方々は、「あ、あの箇所は通読リレーで参加した箇所だ」そう思うことがこれからはたくさんあると思います。イエス様は、旧約のアブラハムをお召しになったときから、救い主を送ってくださるまで、長い歴史にずっと関わってこられたわけですが、この中のかなりの方々は、その歴史をずっと、ある人はほとんど全部、たどってこられたわけです。

 アブラハムが神と共にたどった道があります。モーセがイスラエルの民を率いて、たどった道があります。ダビデ、ソロモン、預言者イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、その他たくさんの方々のたどった道を、通読リレーを通して、すべてたどってきたわけです。

 ある意味で、旧約のどの義人よりも、すばらしい体験をしたことになります。アブラハムはモーセの道を知りません。モーセはダビデ王を知りません。ですが、通読リレーに参加されたみなさんは、程度の差はあっても、すべての道を歩き続けて今日を迎えておられるからです。

 神様は、人間の暗闇がどんなに深くても、キリストが死んで復活してくださったので、闇は光に打ち勝てないことを証明してくださいました。どんな暗闇も、神様のご計画には勝てないのです。旧約時代に解決されなかった不幸も、イエス様を十字架にかけた新約時代の人間の愚かさも、結局は光であるイエス様がすべてを過ぎ越して、勝利してくださったのです。

 同じことが、私たちの今の時代にも当てはまっていると思います。イエス様は復活して勝利を得られました。たとえ、悲しくなるような人間の闇の部分を見せられたとしても、、光であるキリストには打ち勝てません。最大の「闇」死さえも、今日キリストは過ぎ越して、勝利を宣言してくださいました。実は今日は、このイエス様を心に持ち帰って、私たちもそれぞれの家庭、社会の中で、喜びを分け合い、社会に対して光となるべきなのです。

 今日こそ、キリストの復活が私たちの生活にとって意味があることをさとりましょう。「復活したキリストは、私たちを照らしてくださる」この確信を持って、生活に戻っていきましょう。「福音」とも言われる喜びの知らせが、私たちを通して、通読リレーに与った方々を通して、一人でも多くの人に届きますように。