福音説教2000,04,20
聖木曜日・主の晩さん(Jn 13:1-15)
今日与った私たちも司祭 
今日からの三日間は、一年の中でいちばんイエス様に近づくための大切な三日間になります。できれば、三日間通して典礼に与るようにいたしましょう。

今日聖木曜日の説教のためには、聖体祭儀の制定・司祭職の制定・兄弟愛についてというテーマがはじめから与えられています。このテーマに入るきっかけとして、今日は、朗読された聖書の場面が、晩の食事の出来事だったということに注目してみたいと思います。

私たちのふだんの生活のなかで、夕飯といえば、ほぼ一日の生活の締めくくりを感じさせる食事ではないかと思います。夕飯の支度をして、食事の席に着く。食事が終わると、それぞれくつろいだり、ある人はゆっくり体を休めるといったことをすると思います。晩ご飯を食べてから本格的に一日の仕事をするので、そのためにしっかり夕食を取る、そんな生活パターンの人は少ないだろうと思います。

こうして夕食は、その人の一日の活動のほぼ終わり、結び、締めくくりとして分かりやすい部分ですが、今日のイエス様にとっては、さらに大切な意味が込められていました。イエス様はこの日の夕食を弟子たちといっしょに取ったのち、捕らえられて、十字架に張り付けにされるのです。イエス様にとっては、弟子たちと言葉を交わす最後のチャンスでした。

弟子たちには分かっていなかったかも知れませんが、事態は次第に緊迫していました。その中で、イエス様は弟子たちと私たちすべてのために、聖体の秘跡を制定してくださり、聖体祭儀を執り行う司祭を定めてくださったのです。

そう言った意味で、イエス様と弟子たちがいっしょにいただいている食事は、イエス様にとっては一日の終わりというだけでなく、人生最後の食事であり、弟子たちにとっても人生最良の食事と言うことができます。言い残すべきことはたくさんあったかも知れないけれど、歴史の中で一番最初に行われたミサを通して、司祭として聖体祭儀を世の終わりまで続けること、互いに足を洗い合うほどの兄弟愛に励むようにとまとめてくださったわけです。

生涯の終わりに、イエス様がこの食事に込めてくださったものを、わたしたちも真剣に受け止めたいと思います。イエス様が残してくださったものは、聖体の秘跡と、足を洗うという徹底した兄弟愛でした。

本来、足を洗うことは、普通なら食事の前に行うことですが、歴史の中で最初に行われたミサの中で足を洗ったのですから、イエス様は司祭として、弟子たちの足を洗った、言い換えると、足を洗うほどの兄弟愛を通して、私たちはイエス様の司祭としての模範を、生活の中で生きることができるのです。聖体祭儀を行うことは、叙階の秘跡を受けた司祭だけに任せられていますが、私たち一人ひとりは、兄弟を愛することで、生活の中でキリストの司祭の仕事を受け継ぐ者となれるのです。

日々の生活で、キリストの生涯の一部を生きていく力と恵みを、あらためて今日のミサの中で願っていきましょう。引き続き、福音書の出来事にならい、兄弟愛を示す洗足式に移ってまいりましょう。