主日の福音2000,04,09
四旬節第五主日(Jn 12:20-33)
一人は無力、でも一人は偉大
人は、一人では何もできないということを、体験によってわたしたちはある程度知っています。昨日も、間瀬のミサに行くに当たって、持っていかなければならないものがあったのですが、出る直前まで覚えていてもですね、車に飛び乗って、出かけてしばらくして「あっ!忘れた」。こんな場合ですね、もう「蛤」あたりまで来ると、ちょっと戻る元気はないですね。
まあ、「白浜」あたりだと戻ってもいいかなぁと思うかも知れませんが、「蛤」や「徳万」あたりまで来て戻るというのは、ちょっと勇気が要ります。
忘れてしまうと、結局は一週遅れになってしまいますので、何もかもが後手後手になってしまうのですが、致し方ありません。人間は一人ではすべてをこなせないということのいい例だと思います
ですが、一方では、驚くような偉業を成し遂げるのも、これまた一人、ということがよくあります。名前の残る活動・事業、あるいは、人類に対しても大きな足跡を残す、そういう人は、割合一人で成し遂げます。
小学生の時に、「○○伝」という伝記をいっぱい読みましたが、その中で「兄弟」と名の付いたものが一つあっただけで、あとはたいがい「一人」だったと思います。
今、この二十世紀を見渡して、名前を残した人を考えても、それは何とか兄弟、何とか姉妹ではなくて、やはり一人の人物が偉業を成し遂げていることに気が付きます。
ある面で、非常に力不足を感じる、無力感を覚える、そういう「一人」ですが、一方では、誰もが、名前を知らない人はいないというくらい偉大な足跡をも残すのです。
例をあげましょうか、私が興味を持っているマイクロソフトのビル・ゲイツさんや、日本のソフトバンクの社長孫正義さんなどでなくとも、みなさんよくご存知の聖人で名前を出すと、コルベ神父様がいらっしゃいます。彼は「聖母の騎士」という修道会を起こして、数名の協力者とともに日本にやってきたわけですが、「聖母の騎士」という修道会は知らなくとも、「コルベ神父様」は誰でも知っております。
マザー・テレサ。あまりにも有名ですね。彼女もまた、「神の愛の宣教者会」という修道会を起こし、一千名を越える会員にまで育てましたが、みんなが知っているのは、一人の女性「マザー・テレサ」その人です。「マザー・テレサとその姉妹たち」とは言いませんね。ですから、本当に一人という、この一人ひとりの力は、一方では無力を感じますが、一方では計り知れない、大きな実を結ぶということを、わたしたちは矛盾するようですが、知っております。
今日、イエス様は、私たちに、この大きな可能性というか、計り知れない力を、わたしたちに呼び覚まそうとしているのではないかと思うんです。イエス様はこう仰いました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである」。まったく無力だと。「だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と言います。
イエス様はご自分のことを、誰かを指してではなくてご自分のことをはかない、無力な者として紹介しますが、たとえそんなにはかないものであっても、命を捧げれば、自分を犠牲にすれば、まわりの人に多くの実を結ぶということを私たちに教えてくださる。それはたとえだけでなくて、身をもって、私たちに模範を残してくださいました。
私たちはこのお手本を見ながら、学びながら、何かを自分の生活に取り込むことはできないでしょうか。家庭の中で、あるいは自分の置かれた職場や、地域、まあ教会の活動の中でも結構です。自分一人では、まったく無力、自分一人で何かを変えようとか、突き動かそうといったって、なかなか難しいかも知れません。
そういう無力さを感じますが、一方では、私が、ここで、置かれた場所で自分を捨てて、自分が自分がとか、いやいや自分はとてもとか、そういう気持ちを横に置いて、一生懸命奉仕してくださるなら、自分を無にするほど尽くしてくださるなら、それは大きな実を結ぶことになります。
実際に、まぁ教会活動でもいいですが、この人がいてくれたから、この人が一生懸命尽くしてくれたから。そういう貢献は、私たちは具体的にでも挙げることができるわけです。どこかで、こうした「一粒の麦」のような奉仕をしてくださらなければ、教会は成り立たないんだと思います。
幸いにと言いましょうか、今日はミサの後に信徒総会が開かれます。一人ひとりが教会の運営に関心をもってこれまでの一年、これからの一年に関わっていく。教会運営というと、役員だけの問題と思っている方もおられるのかも知れませんが、そうではないです。一人ひとりが参加して、教会を維持している。運営しているんです。
私は一人。一人では何もできないんだけれども、イエス様が仰るように、置かれた場所で、自分を無にするくらい、どこかで自分を捧げるなら、それは大きな実を結ぶんだ。そういうことをですね。この総会の中でも少し意識してこれからの一年、あるいはこれまでの一年のことを振り返りながら、総会に参加していただければと思います。
自分たちが、イエス様に呼びかけられて、一人ひとりの力を私は期待している。それは群れて、十人とか十五人とかで群れている人々を期待しているのではなくて、「あなた」「あなた」という一人ひとりの力を、あなたが自分を無にして奉仕してくださることを、イエス様は期待しているわけです。
そんなイエス様の呼びかけに、私たちが一人ひとり答えることができるように、答えていきましょうという気持ちを育てていけるように、今日のこのミサの中で、続けて祈っていきたいと思います。