主日の福音2000,03,26
四旬節第三主日(Jn 2:13-25)
厳しい態度で臨んだわけは 
今日、イエス様は、エルサレム神殿の中で大暴れをしておられます。牛や羊、鳩を追い出し、両替人の金をまき散らして、個人的には「気色いいだろうなあ」と思うほどです。

イエス様は次のようにも言いました。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」ユダヤ人たちが言っているように、建てるのに四十六年もかかったというこの神殿は、実際に壮麗な神殿でした。イスラエル巡礼の時に、50分の1のミニチュア模型を見に行きましたが(もちろん本物も見たんですが)、50分の1の模型で、太田尾教会がすっぽり入るくらいの大きさですから、実物の大きさはどれほど大きいか想像がつくと思います。

イエス様がおっしゃった神殿を三日で建て直すという言葉は、今日の福音のヨハネが説明している通り、ご自分の体のことをひとつは言っていると思います。もう一つ、私は今日の福音に合わせて考えてみました。それは、「秩序を立て直す」ということではなかったでしょうか。

イエス様は、縄で鞭を作り、神殿の中で暴れています。ふだん見たことのないイエス様の態度です。きっとこうでもしなければ、人々は自分たちの商売道具を神殿の外に出すつもりはなかったのでしょう。神殿は言うまでもなく、神と出会う場所、賛美と感謝を捧げ、神の祝福にあずかり、神に許しを求め、神の許しを受けてと、いろんな形で神の恵みに満たされて帰って行く場所です。こうした本来の神殿の姿が、イエス様の見た感じでは、まったく失われてしまった。そう映ったのでしょう。

確かに、建物の神殿は壊すのも大変でしょうし、もちろん三日で建てるのも大変と思います。「秩序」であれば、三日で立て直すということも十分考えられます。イエス様の厳しい態度は、「三日で秩序を立て直す」つまり、「すぐさま秩序を取り戻す」そのためのやむを得ない処置だったがではないでしょうか。

「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」これは、「神殿の本来ある秩序を取り戻しなさい」というイエス様の強い願いが言わせた言葉だと思います。そしてこの呼びかけは、同じように私たちにも向けられていくのです。「あなたたちは、教会堂の秩序を保つように心がけているか。秩序を乱すようなことをしてはいないか」ということです。

私たちの聖堂に当てはめると、聖堂は神殿と同じように神と出会う場所、神に賛美と礼拝をささげ、ある時ゆるしの秘跡の中で神にゆるしを願い、神のゆるしをいただき、ミサ聖祭にあずかって聖体をいただくことで神に養われ、結婚式の中では絆を結んでいたたき、洗礼・堅信・婚姻の中で神の祝福をいただき、またあるときは死者を神のもとへ送り出して神にすべてを託す、そのような、神との出会いを体験していく場所です。もし、このような姿が教会の中で妨げられているとしたら、その原因をすべて排除すべきです。

さすがに、今では両替の金を持ち込んだり、牛や羊や鳩を持ち込むことはないでしょうが、違った形で神との出会いに妨げになるものを持ち込むことはありえます。例えば、「あの人は教会に来ていい人だろうか。教会に来ちゃいけないんじゃないか」というような偏見の目、「あの人はいいいときだけ来て」そういう思いで人を眺めているとしたら、それはじゅうぶんにつまずきのもととなりうるのです。

イエス様は神殿の中で鞭をもってご自分の態度を明らかにされました。神殿の本来の姿、神と出会う場所というすばらしい姿を妨げるものは、すべてイエス様の怒りに触れるのです。今でも、イエス様は同じく厳しい態度でつまずきのもとを排除しようとするでしょう。

私たちも、イエス様のお望みによく答えるようによくいたしましょう。神と出会うための聖堂に妨げとなる何かを持ち込まないようにいいたしましょう。そしてそれ以上に、私たちの良い心がけで、神と出会う場所にふさわしい雰囲気づくりを心掛けるようにいたしましょう。そのための恵みをミサの中で願い求めていくことにいたしましょう。