主日の福音2000,02,27
年間第八主日(Mk 2:18-22)
きょうからあなたは「新しいぶどう酒」
昨日は、無事に私たちの教会の堅信式が済みまして、正直ホッとしております。堅信式の中で、司教様は堅信を受ける受堅者に、堅信の心得を三つお話ししておられましたが、私の頭にはそのうちの一つも残っておりません。司教様には大変申し訳ないことですが、私は式全体のことや、受堅者の様子に気を配ることで頭がいっぱいでして、ほとんどお説教に身が入らなかったのです。
それでも、私の耳に一つだけ、はっきり残ったものがあります。こう仰いました。「受堅者の皆さんに、はっきり申し上げたいことは、『堅信は、要理の卒業式ではない』ということです」。
司教様、偉い!よくぞ言ってくれた。それを言ってほしかったんです。そのために司教様を連れてきたんです!心の中で私はそのようなことを叫んでおりました。堅信式が終わって、私も堅信を受けたばかりの中学生たちに、「おめでとう」と言ったのですが、同時に、「今日の出来事で、ぬか喜びしてはいけない」と、自分では気を引き締めていました。
案の定、中学生と保護者たちの茶話会の席で、「明日は日曜日だけれども、当然堅信を受けた中学生のみんなは、明日の日曜日のミサに来なさい。間瀬教会は朝の7時、太田尾教会は朝の9時。分かった?忘れるんじゃないよ。くれぐれも、堅信の秘跡を受けた次の日に、神父様を失神させるようなことはしてくれるなよ」。
そう言って念を押しますと、中学生の間からはため息が漏れます。「えー?朝7時?無理だー。起きられない」。そうすると私は父親みたいになってきまして、「無理じゃない。起きなさい。どうしても7時が無理なら、9時の太田尾のミサのほうに来ればいいじゃないか」。
それでも何かぶつぶつ言っておりましたが、茶話会の間に二回も三回も言い含めましたので、もしかしたらちゃんと来るかなぁと思ったりしていました。これまでこの中学生には、何度も痛い目に遭っていますので、それでも半信半疑でおりました。
いよいよ次の日、朝7時のミサが始まりますと、当然間瀬の教会に来るはずの子供が来ておりません。どう考えても距離的にはこちらの教会の方が近いのですが、「やっぱりか」という気持ちで、次の9時のミサのため、太田尾教会に移動します。「あのヤロウ」なんて心の中では考えながら、「もう司教様に言って、堅信の秘跡を取り消してもらうことはできないのかなぁ」などとぼやいていました。
いま、9時のミサが始まっておりますが、私の目の前には、心配していた中学生が座っております。私は今、腰抜かしそうになるほどびっくりしております。「ほうら見ろ。だから言わんこっちゃない!」という切り出しで話すつもりだったのですが、ちょっと拍子抜けしております。いやぁ、今度ばかりは中学生みんなに感心いたしました。
今日の福音の中で、「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」という言葉がありますが、この言葉を中学生皆さんに贈りたいと思っています。堅信の秘跡を受けて、皆さんは今までの姿から、聖霊に満たされた「新しいぶどう酒」に生まれ変わりました。神様から、新しいぶどう酒に変えていただいたのですから、自分の生活、考え方を包むものも、新しいものに変えていく必要があります。
それは、これからは、自発的に教会の礼拝に参加するということです。「行きなさい」とか、「○○しなさい」と言われてから事に当たっていた今までの生活から、「これは私の信仰を養うものだから、行くんだ」「ここで、私も神様を賛美するんだ」そういう自分からの動機付けを持ってほしいと思います。これが、「新しい革袋」と言うことです。ぜひぜひ、お願いします。